本田弘幸さん=2018年5月24日、東京都品川区、山本裕之撮影
サッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会の初戦、本田圭佑(32)はコーナーキックで勝ち越し点を演出した。3度目のW杯。「世界一を目指す」と公言し、輝かしいキャリアを築き上げてきた。それを代理人として支えたのは、兄の弘幸さん(34)だった。
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コロンビア戦で、本田の出番は後半25分にやってきた。香川真司(29)に代わってピッチに入り、歴史的な勝利に貢献。試合後「ここからようやくW杯が始まる。この勝利で、いい意味で冷静に調子に乗れればなと思う」と語った。
4年前の1月。スーツ姿の本田は世界の注目を集めていた。イタリア1部リーグ、セリエAで18度の優勝を誇る名門・ACミランへの移籍会見。200人以上の報道陣を前に、本田は英語で記者の質問に答えた。
「夢が実現しました。12歳の時、『いつかセリエAで背番号10をつける』と作文に書いていたから」
会見場の脇には、弟の雄姿をそっと見守る兄の姿があった。この移籍は兄、弘幸さんの存在なくしてはなし得なかった。
その1年以上前、弘幸さんは1人、イタリア・ミラノにいた。目の前に立つ建物は、通称「ミラネッロ」。ACミランの練習場兼クラブハウスだ。周りにはファンやマスコミが集まり、選手らの出入りに目を光らせる。
弘幸さんは迷わず、その中を進んだ。「ジャポネーゼ、何してるんだ」。いぶかしがる守衛にこう言った。「移籍交渉に来た」
10分ほどの押し問答。その末に現れたのは、ACミランで強化を担うスポーツディレクター、ブライダ氏だった。カウンターでエスプレッソを飲み干すと、奥に通された。「何をしに来たんだ」
交渉は難航した。当時、ACミランには各国代表クラスのFWが7人。「圭佑は中盤の選手。ボランチでもいい」。毎月のようにブライダ氏の元へ通った。
「背番号10にしてくれ」
部屋に通されないこともあった。状況を打開するため、弘幸さんは狙いを変えた。現地のベテラン代理人と親交を持ち、ガリアーニ副会長に近づいた。ベルルスコーニ名誉会長(元イタリア首相)の右腕として、長くクラブを支えてきた大物だ。この面会を機に、交渉は前に進み始めた。
ある日、弘幸さんはガリアーニ副会長に言った。
「背番号10にしてくれ」
「ミランの10番。その意味はわかってるのか?」
「わかっている」
これが、本田がACミランの1…