中日の岩瀬仁紀投手=名古屋市東区、上田潤撮影
中日・岩瀬仁紀投手(西尾東出身)
小学2年で愛知衣浦リトルリーグに入り、ピッチャーやファースト、外野など、色々やっていました。中学では、西尾市立寺津中の軟式野球部にいました。
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西尾東は、普通の公立高です。私学4強からは誘いがなかったし、行ったとしても甲子園に行けるとは限らない。野球ばかりの生活もどうなのかなという思いもありました。ただ、公立高であれど普通の学生生活とは違って、気づいたら野球だけになっていたのかなという感じはします。
自宅と高校は、西尾市の端と端。自転車で45分かけて、通学していました。部の同級生は7人。練習は朝はなくて、授業が終わってからだけ。暗くなるくらいまで練習し、夜の8、9時くらいに帰っていました。
基本的な練習はみんなと一緒にやるんですが、ピッチングとランニングの量は自分で考えながらやっていました。外を5キロ走りに行くとか、坂道ダッシュを何本やるとか、球数とか、自分で全部決めていました。
球種はストレート、カーブ、スライダー、たまにナックルかな。初めてベンチ入りしたのは、1年の夏。2番手で投げました。2年からエースになって、ほぼ1人で完投していました。
高校野球で一番うれしかったのは、3年夏。三好との愛知大会2回戦でのノーヒットノーランかな。地方大会だから、仲の良い友達が来ているくらいで、そんなにお客さんはいなかった。できるなんて全く思っていなかったですけど、中盤以降、もしかしたらという思いにはなっていきました。試合が終わった時、チームメートがみんな喜んでくれたのは覚えています。
悔しかったのもやっぱり3年夏。愛知大会4回戦で名城大付に負けたんですけど、勝てば次の相手は2年連続で愛知代表になった東邦でした。2年秋の県大会では、サヨナラで負けていて、その悔しさをぶつけたかった。どうしても東邦とやりたい気持ちがあって、その前に名城大付で負けてしまって、すごく悔しかったです。
野球は続けようと思っていましたが、自分がその頃どこに行くのか全く見えていなかった。最終的には、プロに行きたい気持ちはありましたけどね。西尾東、愛知大。行った学校は当時、どこも正直強くなかった。だからこそ、強くないチームが強いチームに勝つというのは、醍醐味(だいごみ)でしたね。
野球は根本的に勝負の世界。個人プレーだけでは勝てない。チームがあって、みんなで勝っていく。そこに、自分ひとりだけじゃない、みんなで喜べるという楽しさはありました。
球児のみなさんは、余計なことは考えないで、練習してきたことを信じてやればいい。結果が出ようが、出まいがね。悔いのない一球、一打席を。今までやってきたことを全て出せるよう頑張ってほしいと思います。(江向彩也夏)
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いわせ・ひとき 愛知県西尾市出身。西尾東高、愛知大、NTT東海を経て、1998年のドラフト2位で中日入団。背番号「13」と鎌のように曲がるスライダーから「死神」と評される。今季から選手兼任コーチに就任。6月12日現在、通算972試合登板でプロ野球最多記録を更新し続けている。