(17日、日本2―1ウズベキスタン)
1―1の後半13分、狙っていたチャンスが来た。
ゴール正面、約20メートル。塩谷(しおたに)は、こぼれ球を左足で思い切り、蹴った。強く、低く。狙い通り、得意のミドルシュートをゴール右隅に突き刺した。代表初得点。「頭が真っ白になった」
4年間の成長が詰まった決勝ゴールだった。
8強だった2015年の前回大会。メンバー入りしながら、出場はなし。1次リーグで2連勝し、突破が有力な状況で3戦目を迎えたが、先発は入れ替わらなかった。「なんでだよ」といらついた。「まだ未熟だった」。その年を最後に、代表から遠ざかった。
オーバーエージ枠で16年リオデジャネイロ五輪に出場。17年夏に、J1広島からUAEのアルアインへ。国際経験を重ね、慣れない環境でのプレーを経て「精神的にタフになった」。けが人に代わっての追加招集で、ずっと思い描いていた代表復帰を果たした。
「一日一日、自分にできることをやる」。1、2戦で出番がなくても、気持ちは切れなかった。1次リーグ突破が決まった中で迎えた第3戦。森保監督は控え組を先発させた。塩谷は本来のDFではなく、アルアインでたまにこなす守備的MF。それでも30歳になった塩谷は動じなかった。大柄な相手にも、持ち味の激しい守備で対抗し続けた。
普段、練習や試合に使うホームスタジアム。家族も見守った中で、1位突破を決める殊勲のゴール。「忘れられない1日になった」(勝見壮史)