シリアの危機が始まって間もなく8年。国民の半数が国内外で避難生活を送る。支援のニーズは増え続けるが、終わりの見えない内戦に国際社会の「援助疲れ」もささやかれる。人道支援の最前線を訪ねた。(アレッポ=其山史晃、ザアタリ=渡辺丘)
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記者は昨年末、シリア北部で人道支援にあたる国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)アレッポ事務所の活動に同行。過激派組織「イスラム国」(IS)の支配で荒廃した農村地帯での取り組みを見た。
アレッポの約80キロ東にあるハフサは、2015年にISが侵攻、多くの住民が避難した。17年春にアサド政権軍が奪還し、2万人以上が戻ったが、今も壊れた建物が目立つ。
パン工場前に、焼きたてを待つ長蛇の列があった。機械がISに奪われたが、UNHCRなどの支援で18年初めに再開した。工場作業員のカバス・ハラフさん(47)は「ハフサと周りの69の村にパンが行き渡る。帰還民が増えてもまかなえる」と話した。
工場前の通りには太陽光発電の街灯が設置された。電気が通っていない村の住民は、治安の不安から日没後は外出できなかった。近くの中学校は損傷が軽かった校舎の一つが復旧した。
ハフサの西約30キロのデルハフェルのコミュニティセンターでは、生活に悩みを抱える女性10人が集まっていた。一人が「夜になると『どうやって子どもを食べさせようか』と不安で涙が出てくる」と訴えると、担当者が「民生委員と解決策を考えよう」と応じた。避難生活で何年も通学できなかった子供たちが補習授業を受けていた。
避難先から17年にデルハフェルに戻った男性は家族12人と暮らす。帰還直後は稼ぐあてがなく途方に暮れていたが、助成制度で16匹の羊をもらい受け、牧畜を始めた。男性は「羊を増やすことができ、生きていく展望を持てた」と話した。
ハフサとデルハフェルは、いずれもUNHCRアレッポ事務所による村落支援のモデル地区だ。教育、雇用など包括的に生活基盤を改善して支援効果を最大化する狙いがある。
同事務所の主な支援対象は約115万人の避難民と帰還民。高嶋由美子所長(48)は「膨大なニーズの一つ一つに応えられる資源はない。見える形で支援協力の成功例をつくり、『帰って生活できそうだ』という希望につなげたい」と話す。
必要資金、6割満たず
「見える形」を求める背景には、資金を出す国際社会の目が厳しさを増す事情もある。終わりの見えない内戦に、援助関係者の間では「シリア援助疲れ」という言葉が聞かれる。
シリア国内の避難民は約620万人、周辺国に逃れた難民は568万人。シリアの人口の半分が自宅からの避難を強いられている。内戦はアサド政権軍が優勢とはいえ、終結の見通しは立たない。
国連などはシリア国内と周辺国での危機対応計画を毎年作っている。援助必要額は増え続け、18年には89・7億ドルだが、実際の拠出額はその6割に届かない。
国連人道問題調整事務所の資金追跡サービスによると、17年の日本政府の拠出額は約2・2億ドル。米国(約14・3億ドル)、ドイツ(約11・2億ドル)、英国、ノルウェーに次ぎ、政府別では5番目に多い。
昨年4月、シリアへの人道支援を話し合う国際会合で河野太郎外相は「なぜ国外に自分たちの税金が使われるのかという問題提起が様々な国でみられる」と指摘した。
国連機関のシリアでの活動は基本的にアサド政権の承認を受けて実施される。政権支配地域では活動しやすいが、国連によると17年は反体制派の支配地域への物資の搬入は要求の27%しか認められなかった。
アサド政権に厳しい態度で臨む欧米諸国は、人道支援のための拠出金が政権強化につながらないよう、使途に細かな制限をつける傾向がある。国連関係者は「援助は政治に左右されてはいけないが、拠出者の意向は考慮せざるをえない」と話す。
ヨルダン、進まぬ帰還
シリア国境から約10キロの荒野にあるヨルダンのザアタリ難民キャンプは南北2キロ、東西3キロの敷地に仮設住宅がひしめく。2012年7月にでき、約8万人が暮らす世界最大のシリア難民キャンプだ。
「シリアは今も危険だ。仕事がないし、物価も高騰している。平和が戻らなければ帰れない」。妻、2~8歳の4人の子供と5年間ここで暮らすNGO職員アブユセフさん(32)は冬は零下に冷え込む自宅のプレハブ小屋で話した。
シリアとの国境の検問所は昨年10月、3年ぶりに開通した。ヨルダン内務省高官によると、昨年末までに帰還した難民は約5千人にとどまる。アサド政権は帰還を呼びかけるが、徴兵を恐れたり、シリアのパスポートの申請費用がなかったりする人もいる。
ヨルダンは、失業率が18%を超す苦境下でシリア難民約67万人を受け入れ、一部地域は学校を2部制にして授業時間を短縮するなど負担が大きい。サファディ外相は朝日新聞に「帰還を促しているが強制はできない。ヨルダンは危機的な経済状況でも人道的な責任を果たす」と話し、国際社会の支援継続を訴えた。
日本のNPO「国境なき子どもたち」は13年から同キャンプの学校で難民の子らの情操教育を続ける。16歳の少女は、銃を乱射する兵士や空爆下で涙を流す市民の絵を描いた。現地事業責任者の松永晴子さんは言う。「家族を目の前で殺され、時間がたっても感情をコントロールできない子もいる。内戦の長期化で難民の経済的、心理的な負担はますます重くなっている」