[PR]
米国の連邦最高裁判所にアイドルのような人気を集める判事がいる。頭文字から「RBG」と親しまれるルース・ベーダー・ギンズバーグ判事だ。86歳の誕生日を迎えたばかりの小柄なおばあちゃんだが、お堅い職業の最高峰とも言えそうな最高裁判事がなぜこんなことに――。
「不確実な時代だからこそ私たちにはヒーローが必要。それがルース・ベーダー・ギンズバーグだ」
首都ワシントンにある連邦最高裁判所。3月15日の夕方、集まった約300人を前にトランスジェンダーの活動家、シャーロット・クライマーさんが声を張り上げた。
この日はギンズバーグ氏の誕生日。集まった人たちはその後、誕生日の歌を歌いながら、ひじや手で体を支えてまっすぐに保つエクササイズ「プランク」をした。「プランク」は健康を保つため、運動を欠かさないことで知られる判事の得意の運動だ。「いつまでも元気で」との願いを表すためのイベントだった。
判事の出身地のニューヨーク・ブルックリン区ではこの日、区役所の建物を「ルース・ベーダー・ギンズバーグ・ビル」と命名しようと区長主催のイベントが開かれた。ネット上では、命名権を持つ市長に対する請願に約10万人が賛同している。
男女平等進めた弁護士
9人いる最高裁判事の中で、ギンズバーグ氏の人気は際立つ。ドキュメンタリー映画「RBG 最強の85歳」(2018年製作、今年5月日本公開予定)はアカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされ、公開中の映画「ビリーブ 未来への大逆転」では若き日の姿が描かれた。
射殺された伝説的ラッパー、ノトーリアスB・I・Gにちなみ、「ノトーリアスR・B・G」などとも呼ばれる。ノトーリアスは「悪名の高い」「名うての」といった意味だが、ギンズバーグ氏には男女平等の推進に大きな役割を果たしたという良い意味で冠せられる。
ギンズバーグ氏が法律を学んだ1950年代後半、米国の法曹界はほとんど男性が占めた。ギンズバーグ氏が56年にハーバード大法学院に入学したとき、同級の500人余りのうち女性は9人しかいなかった。ギンズバーグ氏はすでに結婚して子どももいたが、がんを患った夫の分まで授業を受け、優秀な成績を残したという逸話がある。
完治した夫の仕事でニューヨークに引っ越し、転入したコロンビア大法学院は首席で卒業。それでも、女性というだけでどこの弁護士事務所も雇うのを拒んだという。
米国では、70年代に入るまで父親の権利が母親に優先するといった男女差をつけた法律が数多くあった。自身も性差の壁に直面し、連邦地裁判事の法務事務官から大学教授になったギンズバーグ氏は、こうした法律を一つ一つ覆していく。
連邦最高裁が71年、性によって差を設けた法律を初めて違憲とした裁判では、ギンズバーグ氏が意見書を提出。母親を介護する独身男性がヘルパー代の税控除を認められず、「女性なら認められるのに男性に認められないのはおかしい」と訴えた裁判(72年判決)では、ギンズバーグ氏自身が弁護士として法廷で差別の不当性を争い、勝訴した。
米国自由人権協会(ACLU)の「女性権利プロジェクト」の共同創設者でもある。弁護士として男女平等をめぐる裁判6件を最高裁で争い、5件で勝った。社会の一部から強い反発を招きかねない一発大逆転は狙わず、小さな穴を開け、世論を味方につけながらだんだん広げていくのがスタイルだ。
■女性2人目の最高裁…