「ケチ」はもはやマイナスの意味はない
日本のSNSに「富女子」という言い方が出てくる。20代の女性で「30歳までに1千万円の貯金をする」ことを目標にする人たちのことで、ぜいたく品、海外旅行、娯楽を断ち、食費や支出を切り詰めて暮らし、必死に貯金する。日本のメディアの調査では、日本の若者の80%が毎月貯金をし、買い物ではいくつかの店をじっくり比較し、店側がかわいそうになるくらい値切り、人よりよいぜいたく品を持ちたいとか物質的に豊かな暮らしをしたいなどとは考えないという。筆者も日本の同級生の「指導」の下、少しずつ価格交渉の技術を身につけてきた。先日、コンピューターを買いに行った時には、同級生に、「店の人と必ず価格交渉すること。店によって価格が違うので、何店か回って値段を比べた方がいい」と何度も言い聞かされた。普段は礼儀正しい日本の若者が、ネットで価格を交渉するときには非常に大胆になり、わずか数十円でも延々交渉を続ける。「なんてケチくさいんだ」と驚かずにはいられない。
日本の若者は「ケチ」が悪いことだとは思っていないし、質素倹約を示し、貴重な性質であり美徳であると考える人もたくさんいる。日本のメディアが「どの地方の人がケチだと思うか」を投票形式でたずねたところ、大阪がトップ、2位は愛知、3位は京都だった。しかし予想外だったのは、この3地方の人々がケチと言われても批判されているとか笑われているとは考えず、むしろ誇らしいと考えていることだ。
今の日本の若者は精神的な生活をより追求し、自分らしい暮らしを渇望して、「不要なもの」を拒否し、断捨離やミニマルライフ(持たない暮らし)を尊ぶ。外国人の目からみると、こうした姿はかなり「ケチ」に映る。中国からきた同級生の女子がこんな不満を言っていた。「日本の友だちとご飯を食べるといつも割り勘。これは日本人の習慣と文化なのでまだ理解できる。でも私のことを好きと言っている日本の男の子まで食事の時はいつも割り勘だし、街をブラついても値段の安いちょっとしたものでも買ってくれたことがない」。「そういう『ケチ』さは日本の若者にとって今では当たり前のことかもしれないよ」と彼女に忠告するに忍びなかった。(編集KS)
「人民網日本語版」2020年6月2日