愛犬のコウちゃんと散歩する妻=伊藤進之介撮影
おなかの芯を串刺しにされるような痛みだった。
医師の手元を照らすライト以外は真っ暗な手術室で、自分に言い聞かせた。「がまんやで。暴れたらあかんで」
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その言葉に抵抗するように、体の悲鳴が聞こえた。
やめて。もうやめて。
助産師として大阪市で働く妻(44)が、体外受精のため2度目の採卵をした時のことだ。不妊治療は8年目を迎え、40歳になっていた。
この時の受精卵でも妊娠には至らなかった。「あきらめます」と医師に伝えた。継続を勧められたが、ただ繰り返した。「もう無理です」。涙が止まらなかった。
24歳で看護師になり、最初の病院で小児科に配属された。未熟児のケアをする中で出産からかかわりたいと思い、26歳で学び直し、助産師になった。
29歳の時、1歳下の会社員の夫(43)と結婚した。子どもはいずれできると思っていた。33歳のころ、友人らが不妊治療に通い出した。焦りを感じ、妊娠しやすい時期を見極めるタイミング法から治療を始めた。
だが、子どもはできなかった。人工授精を試しながら、知人から評判のよい他の病院を聞いて、受診もしてみた。
治療中も、仕事として出産に立ち会い、新生児訪問をこなした。表面は笑顔を見せながら、いつのまにか、心から「おめでとう」と言えなくなっていた。
治療を中止し、仕事に集中しようとした時期もある。でも、子どものことが頭を離れなかった。友人から届く写真入りの年賀状はやぶきたくなった。マタニティーマークを見ても、「絶対座れるって思うなよ」。以前の自分ではないような「黒い自分」。苦しかった。
夫にあたった。「こんなにしんどいのに、どうしてわかってくれへんの」。夫は「どうせえって言うの?」。自分でもわからなかった。「子どものことを話すの、怖い」とも言われた。
不妊治療クリニックに勤めるようになり、体外受精を勧められた。最初の採卵では妊娠反応が出たが、流れた。限界を感じたのは次の採卵。体外受精で100万円ほどかかった。
やめる決意を、泣きながら夫に話した。「そんなにつらいなら、やめんでも」と夫は言ってくれたが、これ以上続けられる気がしなかった。
「犬を飼おう」と言ったのは夫だ。治療をやめて2年後、戸建てを買って引っ越した。妻は結婚当初から犬を飼いたかったが、社宅では飼えなかった。1年前、生後2カ月ほどの捨て犬を、保護団体から引き取った。
おだやかな日差しの中、コウちゃんが綱をぐんぐん引っ張っていく。妻が小走りについていく。いつものように散歩をしながら、最近ふと思った。「自分がしたかったのは、何かを育てる、ということだったのかもしれない」。犬でなくても、花でも鳥でもいいのかもしれない。
母は働きながら子ども3人を育てた。「母のように子どもを育てないと、女性として一人前じゃない。そう思い込んでたんやって気づきました」
いまは子どもを見かけてもかわいいと思えるようになった。愛犬と歩く夫を見ながら、つらかった時期を振り返ると、「ずいぶんひどいことも言ったのに、受け止めてくれてありがとう」と思う。
「子ども、ほしかったな」と感じる瞬間がないわけではない。同時に「でもな」と思う。「いま、幸せやん。幸せのかたちは人それぞれなんやから」
不妊治療のやめどきを迷う当事者らの集まりに、治療中から進行役として参加してきた。体験を話し、「黒い自分」もさらけ出す。参加者から「私も」と声が上がる。その顔を見て、自分も救われてきた。「不妊治療は頑張っても結果が出るとは限らない。だからつらい。一人じゃないと気づくことが、自分にとってすごく大事だった」
治療を続ける人たちの悩みを聞いたり、サポートをしたりする仕事ができないか。そんなことを考えている。(石村裕輔)