熊本地震での国や他県からの支援状況
水、食料、毛布――。熊本地震の被災地で、物資の不足を訴える声が相次いでいる。国や近隣の自治体から救援物資は集まりつつあるが、行政の混乱などもあり、被災者の手元まで行き渡らない。過去の災害時の教訓をどう生かせばよいのか。
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熊本地震 災害時の生活情報
「今夜の食料も非常に危ない」。17日午後、熊本市の災害対策本部会議で、市の担当者が窮状を訴えた。
16日未明の地震後、約400人が避難した熊本国府高校(同市中央区)の校庭には、避難者がパイプ椅子で「SOS」の文字を作った。市の指定避難場所だが、17日午後まで物資がほとんど届いていなかった。
富田みえ子さん(74)は16日夜以降、お茶とスナック菓子の「ポッキー」1袋、せんべい2枚を口にしただけという。「コンビニやスーパーにも食料品がなく、おなかが減った。避難所に行けば何かあると思ったのに」。17日夕になり、水と乾パンが届いた。
17日午前10時、熊本県益城町の町総合体育館では自衛隊の炊き出しに約80人が並んでいた。4カ月の子どもを抱える熊本市東区の白川ミカさん(34)はおにぎりを受け取った後、「1時間並んだ」と疲れた表情で話した。車で炊き出し2カ所を回ったが、13歳までの子ども4人を優先し自分はあまり食べていない。そのためか母乳も出なくなったという。町役場も訪ねたが、ほしかったおむつとミルクは手に入らなかった。
約3千人が避難生活を送る同県西原村。役場には100人分のビスケットと水1日分しかなかった。職員らが炊き出し用のコメや食材を近所の農家から買い求めている。コンビニ3店舗は17日から営業時間を限って再開したが、弁当やパン、飲料水は品切れ。ある店主は「14日の地震後に水や食料品が完売して以来、入荷が止まっている」。
物資の輸送ルートとなる阿蘇大橋が崩落した同県南阿蘇村では、備蓄していた保存食2500食と飲料水156本が16日までにすべてなくなった。避難所になっている南阿蘇西小学校では住民がわき水をくみ、自家発電機と持ち寄った炊飯器で自炊してしのぐ。地元の区長を務める川崎哲志さん(67)は言う。「いまは自分たちの力で何とかしているが、長期化したらもたない」
■続々到着、でも集積所に山積
支援物資が避難所や被災者に行き届いていないのは、道路事情の悪さに加え、行政の混乱や人手不足なども要因になっている。
「物資等が届かず多くの皆様にご迷惑をおかけしています」。熊本市の大西一史市長は17日早朝、ツイッターでそうつぶやいた。
市には17日から水や毛布などが大量に届き始めた。ただ、管理場所の手配が間に合わず、市内唯一の保管所では荷受けと搬出作業が混乱。午後6時には物資を積んだトラックが15台ほど並んだ。鹿児島県から水を運んできたという男性運転手(53)は「5時間たっても荷下ろしできていない」。市の担当者は「初めての事態で、混乱している」と話した。
益城町の担当者は前震翌日の15日、「食べ物も飲み物も充足している」と話していた。だが、16日の本震で避難者は8倍以上に増え、水や食料不足が深刻化。役場庁舎も被災して職員が立ち入れず、道路の陥没で広報車を走らせるのも難しい。避難者は17日も増え、町職員は「人員がとにかく足りない」とこぼす。
仕分け作業などを期待されるボランティアも、余震が続いているため「受け入れはできない」(県社会福祉協議会)という。
安倍晋三首相は「17日中に(被災地の小売店に)70万食を届ける」と表明。これとは別に、政府は3日分の90万食を無償で供給する方針だ。九州・沖縄・山口の9県でつくる被災地支援対策本部も熊本県の要請で、飲料水約2万4千リットルや毛布約1万8800枚などを陸路で届けた。しかし、受け入れ先の一つの県庁ロビーは企業からの支援物資も含む段ボールが積み上がり、満杯状態だ。
県の担当者は「市町村はニーズ把握にまで手が回らず、県も何が求められているか把握できないでいる」と語る。物資が届いてもさばききれないため、県は個人からの送付希望は断っている。ただ17日夜からは、余る恐れがあっても一部地域には物資を送る作業を始めた。国から要請があったという。
菅義偉官房長官は17日、「地元も混乱している。被災者の手元に届く態勢をしっかり作っていきたい」と述べた。
■地域外で仕分け・民間も配送 過去の震災で教訓
1995年の阪神大震災の反省を踏まえ、災害対策基本法に自治体間で相互応援協定を結ぶように努めることが盛り込まれた。協定締結の動きは広がり、地域を越えて被災地へ迅速に物資を運ぶ体制は整いつつある。一方、過去に繰り返されてきたのが、市役所や体育館に山積みになった物資をなかなか避難所の被災者に届けられないという問題だ。
04年の新潟県中越地震では、山間部の集落が次々に孤立し、情報と輸送路が断たれて救援物資が被災者に行き渡らなかった。車内で夜を明かす人が多く毛布が必要だったが、配る人手や車が不足した。
11年の東日本大震災でも同じような事態が各地で起きた。道路の寸断や車両、燃料不足だけでなく、作業にあたる自治体職員自らが被災したり、避難所での住民の安否確認などに忙殺されたりした。
東京電力福島第一原発がある福島県大熊町で住民避難を指揮した渡辺利綱町長は「被災直後の避難所で物資が限られるのは仕方がない面もある。お年寄りや子どもなど弱者を優先し、元気な人には少し我慢をしてもらう必要もある」と話す。
こうした過去の教訓を踏まえた解決策も確立されつつある。原則は、深刻な被害に見舞われた地域の外で大量の救援物資を仕分けすることだ。
室崎益輝・神戸大名誉教授(都市防災論)によると、07年の新潟県中越沖地震では当初、被災地の新潟県刈羽村や柏崎市が物資の集積拠点になり、輸送が滞った。このため手前の長岡市に拠点を変え、各避難所向けに物資を小分けにしたことで、作業がスムーズになった。今回の熊本地震の場合は福岡市や別府港(大分県)が仕分け拠点の候補になりうるという。
室崎氏は「国や県、自衛隊は大量に物資を被災地に送るのは得意だが、避難者一人一人の要望に合わせるのは苦手。もっと民間に任せるという発想が必要だ」と指摘する。
中越沖地震や東日本大震災では、仕分け拠点から避難所までの配送に民間の宅配業者が活躍した。さらに、ボランティアも仕分けの人手不足の解消や、避難所で生活する被災者の細やかなニーズを把握するために有効な存在だという。