レース後の君原さん。胸には日本代表時代のユニホームから切り取った日の丸を付け、ゼッケンは優勝した年の「1966」だった=伊藤雅哉撮影
万感の思いで、君原さんが50年ぶりのゴール地点に帰ってきた。妻の和子さん(73)ら30人の応援団が待っていた。「ずっと思い続けた最大の目標を果たせた。50年前と変わらない満足感がある」。終盤は歩くようなペースになったが、目標の5時間を切った。
ボストン・マラソン、君原健二さん完走 50年前に優勝
50年前の記憶をたどりながらの走りだった。下りが続く前半のハーフは2時間4分台。ところが終盤の上り坂に苦しんだ。「こんなにきつかったかな。私も年を取ったな」。1966年当時、参加者はトップランナーに限られていた。それが今は市民レースになり、「お祭りみたい。まるで先頭争いをしているような応援をもらい、苦しくて歩きたくても歩けなかった」。
出発前、北九州市内の自宅でレース用のTシャツに日の丸を縫い付けた。現役時代の日本代表のユニホームからカミソリで切り取ったものだ。九州各地の大会に招待されることが多く、最近は「ボストンで頑張ってください」と声を掛けられてきた。その九州では熊本地震が収まっていない状況だ。「私もあちこちの大会で励まされてきた。何かの励みになれば」と生涯74回目の完走を誓っていた。
ここ数年はけがが多く、体力の限界も感じている。この大会のために走り続けてきたから、今後のことは考えられない。「走ることは続けます。フルマラソンは挑戦したい気持ちになれば。大きな区切りになったことは間違いないです」(伊藤雅哉)