益城中央小学校の体育館に避難している住民に声をかける天皇、皇后両陛下=5月19日午後、熊本県益城町、金子淳撮影
皇后さまが、両手をこぶしの形にして、2回、下に動かしました。「頑張って」を意味する手話のメッセージ。「あなたに会えてうれしい」。そう手話で続けました。
5月19日。天皇、皇后両陛下は、地震で甚大な被害を受けた熊本県を訪れました。被災者を直接見舞いたいというお二人の意向を受けた訪問でしたが、冒頭の場面は、益城町の益城中央小学校体育館での一コマです。
両陛下は二手に分かれて被災者のもとに歩み寄り、皇后さまは主婦の山本久美代さん(57)に声をかけました。一緒にいた知人の女性が山本さんについて「耳が不自由なんです」と伝えると、皇后さまはとっさに手話で会話を始めました。
皇后さまは知人の長男・航大君(6)にも「元気でしたか?」「学校は始まりましたか」と声をかけ、航大君が手にしていたゴム風船を見つけると「やってみせて」とお願いしました。風船を膨らませようとした航大君。緊張して力が入ったのか、風船は口から飛び出してしまいました。それを目にした皇后さまは思わずふきだし笑い。両陛下の訪問に緊張気味だった現場が一瞬にして和みました。
山本さんは懇談後の取材に「うれしかった。また明日から頑張ろうと思った」と感激した様子で話していました。
皇后さまの手話を見て思い出す場面があります。1995年1月。両陛下は阪神大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区の菅原市場を訪れました。視察を終え、バスに乗り込んだ皇后さまは、窓の外にいる被災者に向かって「頑張って」と手話で励ましました。
この避難所には約200人がいました。被災者は段ボールやカーテンで仕切られたスペースで生活していましたが、両陛下は一人一人に声をかけて回りました。天皇陛下は、地震で孫娘を亡くした河添ハル子さん(85)を「本当に残念なことでね」と気遣われ、河添さんは「元気が出た。わざわざ来てくださったことを孫にも伝えたい」と声を詰まらせました。
心温まる場面もありました。益城中央小3年生の正法地紅羽(しょうほうじ・くれは)さん(8)が折り紙で作った「ユリの花束」を手渡すと、天皇陛下は「どうもありがとう」と笑顔で受け取りました。
益城町の西村博則町長は「家が崩れたという被災者が『頑張ります』と強い決意を語ったその思いに涙ぐんでしまった。両陛下には、たくさんの勇気をいただいた。これが町民の一人一人の復興、町の復興につながっていくと考える」。西原村の日置和彦村長は「『日本一の元気な村を取り戻します』と天皇陛下に約束した」と力強く話しました。