試合終了後、涙を流す仲間を励ます昭和の吉村賢人(右)=昭島市、いずれも坂本進撮影
「今日はこれまでやってきたことのすべてをぶつけたいと思います」
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高校野球の東・西東京大会の組み合わせ抽選会があった18日夕、ネッツ多摩昭島スタジアム。昭和の「主将役」を任された吉村賢人(けんと)(18)は試合前、スタンドに向けて宣言した。
昭和と日野の都立強豪同士の一戦。スタンドには1200人の観衆に、吹奏楽部やチアリーダーも応援する。でも、少し雰囲気が違う。大会に登録する20人に入れなかった3年生がプレーする「引退試合」だ。
■強肩強打、けがに泣く
吉村は身長177センチ、体重95キロ。「ナポリタン吉村」の愛称で親しまれるチーム一の巨漢捕手だ。
強肩強打を期待されたが、けがに苦しんだ。腰の椎間板(ついかんばん)ヘルニア、疲労骨折手前の左足かかと骨膜炎……。布団から起き上がることもままならず、リハビリが続く。仲間が上達していくのを見るのがつらかった。
「俺やめようかな」。今年1月、仲の良い主将の寺園響(きょう)(17)に練習後、打ち明けた。野球の知識が豊富で、ミーティングで発言力がある吉村はチームに欠かせない。寺園は説得した。「最後まで一緒にやろう」
母和江(48)にも諭された。「中途半端はよくない」。小学4年のとき父邦彦が倒れ、46歳で急逝した。母が損害保険会社で働き、朝5時起きで弁当を作ってくれた。定番の2リットルタッパーいっぱいのナポリタンスパゲティをほおばる姿が愛称になった。
2人の言葉に背中を押され、吉村はコルセットとサポーターをつけ、夏の大会に向けて練習を重ねた。
ベンチ入りメンバー発表の11日。名前は最後まで呼ばれなかった。もっと一緒に練習したかった。涙がこぼれた。情けはかけられたくない。でも。「支えてくれた人に見せられる最後の晴れ舞台。感謝を示したい」
臨んだ当日。
ブルペンのホームベース後ろの地面には《吉村さん ホームラン BIG》と後輩捕手からメッセージが書かれていた。ベンチには抽選会から駆けつけた寺園、スタンドには和江の姿があった。
投手不足の昨春、5連投しチームを支えた「鉄腕」の乾大貴(17)、細身で小柄ながら練習の虫として尊敬を集めた「メガネ君」こと三橋晃太(17)……。ナイターで、背番号を手にできなかった3年生6人の躍動する姿が照らされた。
4番捕手の吉村は1、2打席は力んで内野ゴロに倒れた。迎えた六回の最後の打席。スタンドからは「吉村、大きいの!」と声が飛ぶ。追い込まれても、フルスイングをやめなかった。
ファウルで粘り、6球目。大きな放物線を描いた打球に左翼手が届かず、二塁打になった。盛り上がるベンチとスタンド。塁上でいちど夜空を仰ぎ、照れながら白い歯を見せた。
「ディス イズ 高校野球だなって。憧れてた、見たかった光景だった」
■夏へ「やること山ほど」
数日後。吉村は大会用の応援ソングの歌詞を考え、グラウンドで球を拾っていた。「選手が終わっても、やることは山ほどある」。晴れやかな顔で言った。
寺園ら主力は気迫のこもった練習をしていた。「あいつらに恥ずかしくないプレーをしなきゃ」。引退試合終了後の、あの光景が今もまぶたにある。
あの光景――。人気デュオ「ゆず」の「栄光の架橋」を球場全体で大合唱した。吉村がベンチ外の選手を代表し、あいさつをした。大きく深呼吸をして、堂々と胸を張って。
「本当はすごい悔しい。みんなにお願いがあります。自分たちのやってきた努力とかすべてを背負ってやってほしい。全力で最後まで応援するので、絶対に甲子園へ行こう」=敬称略(矢島大輔、坂本進)
■「引退試合」、50校以上が実施
朝日新聞が東・西東京大会に参加する全273校に実施したアンケートによると、50校以上がメンバー発表後、夏の大会前までに「引退試合」をしていると回答した。5年以内に始めた学校がほとんどで、「踏ん切りをつけてもらう」「結束を強めるため」「背番号をつける経験」「保護者から強い希望があった」などが理由だった。
テレビやインターネット、他校からの申し出で広がった。紅白戦だったり、近くの球場を借りて公式戦さながらに対戦したりと形式は様々だ。夏の大会へ士気を上げる「開幕試合」と呼ぶ学校もある。