「横浜事件」で国の賠償責任が認められず、「不当判決」の文字を見せる弁護士=30日午後1時13分、東京都千代田区、時津剛撮影
戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」をめぐり、再審で2008年に「免訴」が確定した元被告2人の遺族が、「裁判記録が焼かれるなどして再審請求が遅れ、名誉回復ができなかった」として、国に計1億3800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が30日、東京地裁であった。本多知成裁判長は国の賠償責任を認めず、遺族の請求を棄却した。
判決は、元被告らを逮捕した神奈川県警特別高等課(特高)が取り調べで拷問があったことを知りながら起訴した検察官や、有罪とした裁判官に「職務上、不十分で違法な対応があった」と認めた。だが、1947年の国家賠償法施行前の行為について国は賠償責任を負わない、と判断した。
訴えていたのは、中央公論社の編集者だった木村亨さんと旧満鉄調査部員の平舘利雄さんの遺族。2人は1943年に「共産主義を宣伝した」として逮捕され、取り調べで過酷な拷問を受けた。終戦直後の45年9月に、治安維持法違反の罪で有罪とされた。
86年に再審を請求したが、裁判記録が焼却されて存在しないことなどから横浜地裁が棄却。平舘さんは91年、木村さんは98年に死去した。
遺族による第3次再審請求が認められて05年に再審が始まったが、横浜地裁は治安維持法の廃止を理由に、2人を含む元被告5人について、有罪か無罪かを判断しないで裁判を打ち切る免訴とし、08年に最高裁で確定。一方で横浜地裁は10年、実質的に「無罪だった」と判断し、5人で計約4700万円の刑事補償を認める決定を出した。
だが2人の遺族は、無罪ではない免訴では、名誉が回復されないとして12年に提訴。拷問でうその自白を強いたり、裁判所が終戦直後に記録を焼却したりしたことの違法性を認めたうえ、43年から毎年100万円分の賠償をそれぞれの遺族に支払うよう国に求めていた。(千葉雄高)
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〈横浜事件〉 1942~45年、中央公論や改造社、朝日新聞社などの言論・出版関係者約60人が「共産主義を宣伝した」などとして神奈川県警特別高等課に治安維持法違反容疑で逮捕された事件の総称。拷問による取り調べで4人が獄死したほか、約30人が有罪判決を受けた。元被告らが86年から4度にわたり再審請求したが1次、2次は棄却。3次と4次は再審を認めたものの、いずれも治安維持法の廃止などを理由に有罪、無罪を示さない「免訴」の判決が言い渡された。