野村忠宏さん=篠塚ようこ撮影
五輪柔道3連覇を達成し、昨年40歳で引退した野村忠宏さん。BSフジの番組「アキレアの橋」ではプレゼンターを務める野村さんに、テレビ出演などについて聞いた。主なやりとりは次のとおり。
■「ターニングポイント、いっぱいあった」
――野村さんが話すと、そこに笑いが起きる。テレビ番組でメインを務めるのは初めて?
そうです。でも、番組の主役は選手だと思っているんで。自分がどういう風に選手たちに経験などを伝えられるか、その時々でスタッフの方々と話しています。少しでも力になれたら、と思って。
――以前の放送で「ターニングポイントに気づけるかどうかが大きい」と言っていた。自身のターニングポイントは?
色々ありました。大学2年生の時にも、4年生の時にも。2年の時には、月曜から土曜までやっていた毎日の部活動の中で、「こなすための練習」と「強くなるための練習」は違うのだと、細川(伸二=天理大教授)先生に指摘され、気づかせてもらった。与えられたメニューもきつかったんですよ。でも結局、こなすだけの練習しかしていなかった。意味が無いとは言わないけれど、試合は5分の限られた中で集中力、前に出る勇気、勝負への執念が問われることを考えると、練習でいかに実戦に近づけていくかが重要。こなす練習では無理なんです。以後、練習への取り組みが変わった。大きな気づきでした。
その後、4年になる直前かな、オリンピックの選考がかかっている時も。当時の自分は「もしかしたらチャンスはあるかもしれへんけど、2000年のシドニーでいいや」とも思ってた。あの頃、まだ僕は階級で4番手か5番手やったからね。けれど、結果的には自分が代表になった。他の選手が調子を崩したというのもあるけど、最終選考会で優勝して。
つまり、「自分が日本の代表や!」という自信や自覚を持つ前に代表になった。それが最初の(アトランタ)五輪やった。
――では、ご自身にとっても「まさかの金」だったということ?
いいえ。代表に選ばれた時点で…