タレントの峰竜太さん=西田裕樹撮影
■タレント 峰竜太さん
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84チームが出場する第98回全国高校野球選手権長野大会が9日、開幕した。県内出身で中日ドラゴンズのファンとしても知られる峰竜太さんに若手時代を振り返ってもらい、目標を持つことの大切さや野球への思い、球児たちへのメッセージを聞いた。
――野球の情報番組で司会をされている峰さんですが、野球との出会いはいつでしょうか。
実際の野球経験はありませんが、野球を見たり聞いたりするのは小さい頃から大好きでした。中でも印象的なのは、1954年に全国優勝した飯田長姫(現飯田OIDE長姫)の試合。地元の大人たちが小学生の私に話して聞かせるんです。身長160センチ足らずの「小さな大投手」光沢や、優勝して地元へ帰った飯田長姫を迎える人で飯田駅がごった返した話など。それで、「野球ってすごいなあ」と。幼いながらに思いましたね。
高校では陸上部に入っていました。やり投げで県大会に出場したこともあります。野球もやりたかったんですが、野球部がなかった。野球はほとんどテレビで見聞きしていました。
――テレビのお仕事をされているのは、当時の影響もあるんでしょうか。
あると思います。我が家にテレビが来たのは私が小学校2~3年生のころ。日曜日になると朝から晩までテレビを見ていました。母親に「テレビばっかり見とっちゃダメだに」と言われても見ていましたね。当時、いろんな番組を見たことが、今の仕事につながっているのだと思います。
――芸能界を目指して活動を始めたのはいつでしょうか。
高校を卒業するとすぐに上京しました。昼は広告会社で働いて、夜は2日に1回くらい演技などの指導を受けるため東京・銀座にあるタレントセンターに通う。住まいは横浜市の会社と同じ建物にある寮でした。
広告会社といっても、電柱に看板を付けるのが仕事でした。平日は毎日、先輩と2人でトラックに看板を載せて電柱に付けて回る。安全ベルトを装着して電柱にのぼり、両側から2人がかりで針金で締めていくんです。多い日で1日50カ所。嫌になりましたよ。夏場は炎天のもと、「俺はこのままでいいのか」と。
高校卒業当時80キロ近くあった体重は、半年で50キロ台になりました。あんなに痩せるんならダイエットでもう一回やろうかなって思っているくらいです(笑)。
――夏を迎える高校球児も、つらい練習を重ねています。
つらい時も自分の中の目標の炎を燃やし続けることが大切です。ぼくは上京したばかりの頃、言葉のなまりを馬鹿にされました。タレントセンターで話すと、すぐに先生が「なまっているぞ」と言う。言葉を標準語にしても、アクセントだけはもとのままで笑われる。でも地元に帰りたいと思うことはなかった。芸能界で活躍したいという目標があったからです。
――夏の大会を前に、夢を抱く高校球児にメッセージをお願いします。
「甲子園出場」や「プロ野球選手になりたい」など、夢があるならその気持ちをずっと貫き通してもらいたい。それはかなわなくても良いんです。負けることも経験ですから。上には上がいることを知ることも財産。僕の経験からいっても、そうした経験は全部「こやし」です。挫折したときどうするかが大切。
たとえば、映画の主役をできる人がいれば脇役になる人もいる。でも脇役でも輝くことはできる。自分の置かれた場所で輝くことは、野球のポジションでも同じです。もっと言うと、野球だけではなく、「人生のポジション」でも同じ。人生は野球だけじゃありませんから。
そうは言っても、夏の大会は後悔のないように全力投球してもらいたいですね。シンプルに「頑張れ頑張れ頑張れ!」と応援しています。(聞き手・鶴信吾)
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みね・りゅうた 1952年生まれ、長野県下條村出身。阿南高校を卒業後に上京し、73年にNHK「銀座わが町」でデビュー。熱烈な中日ドラゴンズのファンで、スポーツ情報番組「ドラHOT+」(東海テレビ)にも出演。現在は、日曜昼の情報バラエティー番組「アッコにおまかせ!」(TBS系)で司会を務めるほか、役者・ラジオパーソナリティーとして幅広く活躍中。