犠牲者の冥福を祈って花をたむけた後、慰霊碑に向かって手を合わせる参列者=20日午前10時9分、広島市安佐南区、青山芳久撮影
土石流が家をのみ込み、77人の命を奪った広島土砂災害から2年。現場となった広島市安佐南区、安佐北区では、20日未明から慰霊の花束を手にした人々が訪れた。手を合わせて復興と再発防止を誓うとともに、かなわぬ願いを心に抱く。もう一度、あなたに会いたい――。
広島土砂災害2年、犠牲者77人を追悼 再発防止誓う
犠牲者77人のうち53人が亡くなった安佐南区の八木地区では、午前3時前、高台の一軒家で一人暮らしをしていた広藤務さん(当時48)宅跡地で、父の喜美徳さん(79)と母の孝子さん(77)が手を合わせた。
務さんはあの日午前4時ごろ、「家に土砂が入ってきた。今から避難します」と会社に電話を入れたのを最後に連絡が途絶え、その後、家の前の土砂の中から発見された。
喜美徳さんは「雨も雷もいつもと違ってひどかった。電話の一本でもしてやれば助かったのかもしれない」と悔やむ。孝子さんは「何もしてやれなくて悪かったね」と声を詰まらせた。
孝子さんは、平日にはご飯を作って務さん宅へ持って行っていた。あの日の前日も中華丼とシューマイを届けたが、顔は合わせることはできずに帰路に就いた。
この2年間、夫妻はほぼ毎日、この場所に足を運び続けてきた。今は災害のことを人に話せるくらいに気持ちは落ち着いた。だが、「務君、ご飯どこに置こうか」。孝子さんは今も、自然とそんな言葉が出る。
4世帯8人全員が死亡したアパート「ルナハイツ」の跡地には、土石流にのみ込まれて亡くなった湯浅みなみさん(当時28)の父、若松順二さん(53)の姿があった。「娘に会いたいという気持ちは大きくなっている。さびしい気持ちは変わりません」。みなみさんとともに犠牲になった夫康弘さん(当時29)の父吉彦さん(63)も「まだ気持ちの整理がつかない」と話した。
ルナハイツの跡地周辺では午前…