北アルプスで60年以上、電気がないまま営業している「ランプの山小屋」が近年、登山客の人気を集めている。79歳と80歳の夫婦がもてなす船窪(ふなくぼ)小屋(長野県大町市)だ。手作りの料理や囲炉裏を囲む交流会などが口コミで広がった。
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8.11「山の日」特集
船窪小屋は、北アルプス中部にそびえる七倉岳の稜線(りょうせん、2450メートル)に立つ。ふもとの七倉山荘前の登山口から約9時間歩き続け、急な尾根道を抜けて稜線を行くと、青い屋根の山小屋が見えた。小屋を営む松沢寿子(としこ)さん(80)が、玄関先の鐘を鳴らして笑顔で出迎えてくれた。
「まずは1杯どうぞ」。熱いお茶でのどを潤すと、疲れが吹き飛んだ。小屋から北西を見ると、立山連峰の絶景が雲の切れ間から望める。南には、天をつくような北アルプスの名峰、槍ケ岳がそびえていた。木造平屋建てで定員は50人。小屋に入ると、囲炉裏がある食堂兼談話室と2段ベッド形式の客室。天井からつり下げられたランプが目を引いた。
この日の登山客は24人。夕食は、野菜の天ぷらや野菜の煮物、漬物など手の込んだ料理が並ぶ。「山小屋で野菜の天ぷらはすごい」。女性登山客の多くが絶賛した。
近年、山小屋の多くはふもとからヘリコプターで冷凍食品などを荷揚げし、ハンバーグや揚げ物などを提供する。だが、船窪小屋には発電設備がなく、冷凍庫も冷蔵庫もない。料理に使う野菜を小屋近くの岩穴で保存している。寿子さんは「手作りの料理は、加工食品よりおいしい。信州弁の『ずくを出す(手間を惜しまない)』ことで、お客さんに喜んでもらえる」と笑顔で答えた。
夕暮れ後、小屋主で寿子さんの夫・宗洋(むねひろ)さん(79)がランプに灯を入れた。午後7時、囲炉裏を囲んで、恒例の「お茶会」が始まった。ネパール茶を味わいながら、松沢夫妻と宿泊客が語り合う。参加者が自己紹介と小屋の感想を話した後、黒部ダム建設にかかわった宗洋さんが工事の苦労話を語った。ランプの明かりは薄暗く感じるが、発電機の音がない静かな空間は、都会では決して体験できないものだった。