発掘された石垣=京都市伏見区
豊臣秀吉が築いた伏見城(指月〈しげつ〉城)跡(京都市伏見区)で16世紀末の初期伏見城の石垣が出土した。関西文化財調査会(同市上京区)が19日発表した。今回見つかった石垣は保存状態が良く、1587年に秀吉が京都に築いた邸宅の聚楽第(じゅらくだい)や豊臣時代の大坂城の石垣について詳しく知る手がかりとなりそうだ。
石垣は南北に延び、長さ約14・5メートル、高さ約2・8メートル。1596年の慶長大地震より前に築かれたとみられる。大きさが不ぞろいの自然石を割って面をそろえ、隙間を小さな石で埋めていた。自然石だけを積む段階から、成形した割り石を使う段階への移行期とみられ、技術の変遷を考えるうえで貴重という。
初期の伏見城は秀吉が1592年、京都・桃山の観月橋の北側に築造。慶長大地震で倒壊した後、北東の木幡山(こはたやま)に再建された。秀吉はこの城で没した。1600年の関ケ原の戦いの前に焼失したが、徳川家康が建て直した。その際の石垣は均等な割り石が使われていたという。
調査は福祉施設建設に伴い10月から進められた。遺跡は地中で保存される予定。安全管理上の問題から現地説明会はしない。(大村治郎)