原爆慰霊碑に献花するキューバのカストロ国家評議会議長(当時)=03年3月3日午後1時55分、広島市中区の平和記念公園
キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長は2003年3月3日に広島を訪問した際、核廃絶への強い思いをスピーチしていた。平和記念資料館の芳名録に残した言葉は「このような野蛮な行為を決して犯すことのないように」。フィデル氏は生前、被爆者と交流し、原発事故が起きた福島にも強い関心を寄せていた。
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スピーチの全文は以下の通り(訳は在日キューバ大使館)。
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広島に来て、あの1945年8月6日の思い出が私の脳裏に強くよみがえりました。その頃私は少年時代を過ごしたサンティアゴデクーバ市に一時帰省していました。
あの日の昼頃、極めて強い破壊力のある爆弾が使われたというニュースがラジオから流れてきました。被害の状況について、衝撃的な内容が伝えられました。
当時は私は高校を卒業し、大学に入学したばかりでした。偶然にも私は1926年の同じ月、8月13日に生まれました。ですから、広島の原爆は私の誕生日の7日前に起こったことになります。
スペイン市民戦争が始まった頃から、私はいつも戦争のニュースをよく読むようにしていました。戦争では多くの出来事がありました。しかし、この原爆のニュースは消し去ることのできない衝撃を私に残しました。さらに3日後、長崎への爆弾投下のニュースが伝えられました。
世界中のすべての人々にとって、青年たち、また少年たちにとって、それは人類史上かつて起こったことのない途方もない出来事でした。
あの頃は我々の誰もが今日のように世界中で起きていることがらについて知らなかったし、今日誰もが入手する国際政治のニュースも当時は届きませんでした。我々が理解できないことも多々ありました。
それらは我々にとってこの奇妙な世界で起こった出来事でした。その後多くの年月、すなわち57年の歳月が流れました。
人類はあらゆる経験をしてきました。キューバは核兵器の雨にさらされる危険にさえ直面しました。それはこの広島が爆撃されてから17年経った時のことでした。我々は地球上から消滅してしまうのではないかと思った瞬間もありました。
しかし、どんなに物事が強力でも、人間の精神に勝るものはありません。皆さんに保証できますが、あの日々、我が国は強い愛国心と正義の夢に満ち、どんなささいな恐れさえも見せる人は誰もいませんでした。人間は常に死そのものよりも強いものですし、これからもそうでしょう。
このことをここで述べるのは、広島では完全な現実となり、我が国ではほぼ現実となりつつあった危険というものに対する思いを、あなた方と分かち合うためです。私たちの場合には、幸いにも何も起こらずに済みました。
絶対に、絶対に、人類はあなた方が体験したような経験を繰り返すことがあってはなりません。
話がこれ以上長くならないようにしたいと思いますが、終える前に付け加えたいことがあります。57年前、ほぼ58年前に起こったあの事実から、世界という概念は変わったと言えます。残念ながら、ここで起こったことは教訓としても実例としても世界の役に立ちませんでした。
その後、途方もない軍拡競争が行われ、巨大な破壊力を持つあらゆる大きさの爆弾が何万個もつくられました。人類はまだ、教訓をよく学んでいません。世界は依然として大きな危険にさらされ、いまだに新しい兵器がつくられています。それも、ますます精密で高度な技術の兵器となっています。
ですから、半世紀以上前ここで起こったことの記憶を掲げ続けることが、非常に重要な意味を持っています。あなた方は、今でも世界に重要な教訓を与え続けています。何百万、何千万の人たちがこの都市を訪れ、事実を通じて、記憶を通じて、そして資料館を見学し、ここで起こったことを知ることが、今でも非常に重要です。
人類は、いまだに自己保存の能力を発揮していません。戦争の危険から逃れられないでいます。それに加えて、自然破壊、環境破壊、病気、その他多くの問題に直面しています。我々はそれらと闘わなければなりません。
ここで起こったことについて、モラル上の判断を述べることは差し控えます。これは政治的な性格を持つ集まりではないからです。また、このような事実を前に述べるべき言葉を、その全ての力を込めて発するのに適切な場ではないと思うからです。
しかし、このことについて私は深く考えました。あの日起こったことについて、非常に深い明確な判断も持っています。
ですから、もうすぐ終わろうとしているこの訪日の旅の機会を失いたくなかったわけです。この機会にどうしても、この広島を訪れ、あなた方に我々の連帯の気持ちを表明し、1945年の8月6日と9日に二つの都市で命を失った罪のない犠牲者の人々に我々の心からの哀悼の意を表明したいと願ったわけです。
この都市を訪問する機会を頂きましたことに深く感謝致します。また、本日私どもに示して頂いた歓迎とご配慮にお礼申し上げます。ご清聴ありがとうございました。