判決を受けて、最高裁の正門前で垂れ幕を掲げる原告団ら=8日午後3時28分、東京都千代田区、杉本康弘撮影
「静かな空を」と願う住民の闘いは終わらない。一審と二審では全国で初めて、自衛隊機の飛行差し止めに踏み込んだ厚木基地の騒音訴訟。8日の最高裁判決は、従来通り過去の損害賠償だけにとどめた。「残念至極だ」。原告らは来年2月に第5次提訴に踏み切ることを明らかにした。
厚木騒音訴訟、飛行差し止め・将来分賠償認めず 最高裁
「最高裁 被害救済を放棄」。判決後、弁護士らが険しい表情で垂れ幕を掲げた。原告団の相沢義昭事務局長が「完全敗訴です」と声を上げると、集まった原告や支援者らが落胆の表情を浮かべた。
「40年にわたる訴訟が積み重ね、地裁と高裁が開いた道を最高裁が閉ざしてしまった。全国の基地騒音訴訟は、10年遅れるだろう」。一、二審を覆した判決に、中野新・弁護団長は厳しい表情で語った。
地裁と高裁の裁判官は現地を訪ねて騒音を確かめた。「実感し、放置できないと差し止めを命じた。現地のそういう実感を最高裁の裁判官は持っていない」と弁護団の福田護副団長。
厚木基地ではこの日も軍用機が飛行を繰り返した。大和市によると、基地の北1キロで午後5時までに騒音は66回。電車のガード下に相当する100デシベル以上の極めて大きい音も14回を数えた。近くで暮らす相原桃さん(35)は「夜遅くまで飛び、高度は低くて音はすごい。飛行回数を減らす、時間を区切るなどして欲しい」と話した。(前田朱莉亜、太田泉生)
■4世代にわたって原告の一家「爆音と生きて60年」
「爆音と60年以上、生きてきました。何万人もの住民が被害を訴え続けても、根本は何も改善されない」
神奈川県大和市の角田(つのだ)敏太郎さん(84)と妻(82)は、厚木基地の北1・8キロに住む。日米の軍用機が真上を低空で飛ぶ。師走に入っても連日、数百回。家が揺れ、腹の底まで響く。
1955年、都内から移り住ん…