エンジニアの大塚聡子さん。「宇宙開発は新しいプレーヤーも加わり、これからが楽しい時代」と話す=佐藤正人撮影
旅行大手エイチ・アイ・エスと航空大手のANAホールディングスが宇宙旅行の商業運航を目指すなど、民間にも広がる宇宙事業。宇宙空間で作業を行うロボットアームの開発を担当し、宇宙飛行士から「ロボットアームの母」と呼ばれるエンジニア・大塚聡子さんに受験体験や宇宙事業について聞きました。
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■愛すべき単純明快さ
専業主婦の母は心配性で、女性でも家計を支えるスキルを持つよう言われ育ちました。教育熱心な親だったと思います。
高校時代、現代国語の評価がすごく悪いことがあって先生に直訴したことがありました。筆者の思いを読み解くもので、自分なりに書いたのに、それが低く評価された。自分としては納得した答えだったので、先生がなんと言おうと腑に落ちませんでした。一方、物理や数学は単純明快。正解への道筋がわかりやすくて好きでした。世代的に鉄腕アトムやスターウォーズなどに囲まれていたこともあると思います。
言語はコミュニケーションの基本なので、理系でも必要だと実感し、今では自分の娘や若い世代の人にも国語が嫌いだから理系というのはよくないよと伝えていますが、振り返ってみると高校の頃は長文読解が苦手でしたね。
■失敗も通過点
大学受験では浪人しました。1年目の共通1次では、英語の途中の余白ページを見て、その先に問題がもうないのだと勘違い。翌日新聞で答え合わせをしていて、その後に問題があったことを知りました。同級生の半数近くが浪人するクラスでしたが、浪人が決まって5月や6月になると、大学に入った人の楽しそうな様子が伝わってきました。自分は何をやっているんだろうと思ったのを覚えています。ただ、その後も様々な失敗を繰り返していますが、どんな失敗も通過点。そこからの再スタートが大事と思っています。
勉強は興味がない科目は全然ダメでした。化学などは苦手で、受験では最低限の勉強ですむように科目選択しました。母には「理系なら医学部に」とずっと言われていたんですが、やはり興味が持てなくて。親の手前、医学部を一つだけ受けました。当然落ちるんですが。逆に、予備校の数学や物理の授業はすごく楽しくて。やっぱり自分は物理なんだなと思いを強くしました。
大学時代は「バブル」。今考えるとおかしいぐらいの時給を家庭教師のアルバイトでもらうこともありました。でも当時は親の世代からの右肩上がりの経済の中で当たり前と考えていました。夜に実験をすることもあって、車で登校したり、合間を縫ってみんなでスキーに行ったり。遊びにも勉強にも常に一生懸命でした。
■「アームの母」呼ばれるワケ
就職時も景気がよくて、学生側が会社を指名するような時代でした。宇宙開発がやりたいと東芝の宇宙部門に入り、ロボットアームを開発する部署に配属。国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」のロボットアームの開発にあたりました。人工衛星にはあまり可動部分はありませんが、ロボットは可動部が多く、動く頻度も高いので、よく動かす部分の消耗が早まります。グリース(潤滑剤)は宇宙では蒸発してしまうため、摩擦が少なくなるように金属表面に特殊な加工を行いました。人が操作するので、間違えることを前提にした対策や、修理できる設計も求められました。
訓練を担当した宇宙飛行士たちにも「ロボットアームの母」と呼ばれるのは、アームという「子」を守るため、時にキツイ発言をしたからかもしれません。アームの扱い方は一番メーカーが知っているという気持ちを強く持っていましたから。間違った操作をするのを見ると、相手かまわず、ついつい「やめてください」といった言葉が出てしまうんです。大勢のメンバーが長い時間をかけ作り上げた大事なロボットアームですから。
■宇宙開発に新時代
宇宙開発はもはや衛星をロケットで打ち上げることにとどまらず、衛星などから得られる情報の活用を考える時代になっています。ベンチャーなど新しいプレーヤーも加わって、競争は激しいけれど、楽しい時代になってきました。
私自身、好きな分野を進んできましたが、夢がかなったという意識はありません。まだまだ満足しないし、勉強も足りない。物作りだけでなく広い視野をもって宇宙開発に携わって行きたいと思っています。
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おおつか・あきこ 東京生まれ。東京大学工学部物理学科卒業後、1986年に東芝の宇宙事業部入社、ロボットアーム開発にあたる。95年からアメリカに留学、宇宙工学で修士号取得。東芝に復帰し、企業の合併などを経て2007年よりNEC宇宙システム事業部に所属(聞き手・神崎ちひろ)