峠三吉が住んでいた平和アパートの前で、思い出を語る切明千枝子さん=7日午後、広島市中区昭和町、上田幸一撮影
原爆投下の惨禍を訴えた詩「にんげんをかえせ」で知られる詩人、峠三吉が晩年に暮らした広島市内の「平和アパート」が老朽化のため解体されることになった。峠の生誕から今月で100年。かつて反核の文化活動の拠点だったアパートの幕引きに、ゆかりの人たちは思いをはせる。
広島市中心部の中区を東西に走る国道2号。幹線道路の喧騒(けんそう)から一本入った通りに、昭和のたたずまいが残る4階建ての集合住宅が3棟ある。
市営住宅としては初の鉄筋コンクリート造りで、1948~49年度に完成。原爆の爆心地から1・7キロで、建設当時はまだ周囲に焼け跡も残っており、「平和アパート」の名には復興への思いが込められた。モダンな外観で話題を呼び、抽選の末に入居が決まった人は「宝くじに当たったようだ」と喜んだという。
峠は50年から3号棟4階の一室で暮らした。知人の切明(きりあけ)千枝子さん(87)は入居したばかりの峠と路面電車内で居合わせた。
「僕はこの歳(とし)になって本当にすてきな恋をしてるんだよ」。妻のことをうれしそうに話し、電車を降りてアパートに向かっていく姿を今も覚えている。
峠はアパートの窓辺から、目の前を流れる京橋川を眺めながら詩を読んだ。
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眼を閉じて腕をひらけば 河岸の風の中に
白骨を地ならした此(こ)の都市の上に
おれたちも
生きた 墓標
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題名は「河のある風景」。峠の代表作の一つだ。
朝鮮戦争が始まり、再び核の脅威が現実味を帯びてきた51年、「原爆詩集」を自費出版し、自らの被爆体験と直接見た惨状を世に問うた。だが肺を病み、それから2年足らずで手術中に亡くなる。36歳だった。
峠の創作意欲を育んだアパート…