東京大学の「当事者研究ラボ」の前で話す熊谷晋一郎さん(左)と最首悟さん、嶋田達也撮影
相模原市の障害者施設で重度障害者を狙い、19人を殺害したとして植松聖(さとし)容疑者(27)が殺人罪などで起訴された。脳性まひの障害で車いす生活を送る東京大学准教授の熊谷晋一郎さんと、ダウン症の娘と暮らしている和光大学名誉教授の最首悟さんが、事件が社会に投げかけたものを語り合った。
特集:相模原の殺傷事件
――相模原の事件をどのように受け止めましたか。
熊谷 衝撃だったことは二つあります。事件を起こした植松容疑者が「障害者は生きている価値がない」と述べたとされること。障害者を知らない人ではなく、施設で働く介助経験者が起こした事件だったことです。
介助者と障害者の間には抜き差しならない関係があります。「暴力」の問題です。脳性まひという障害を持つ私は幼いころ、リハビリを補助する専門家が寝たきりの友人を足で踏む姿を見たことがあります。以来、ときおり介助者に「熱湯をかけられないか」「こっそりつねられないか」と潜在的な恐怖心を抱いてきました。
2000年以降は制度が整備され、多くの人が介助の世界に入ってきてくれるようになりました。相模原の事件の後は介助をしてもらっている瞬間にふと、「なぜ、この人は私の背中を洗っているのだろう」と感じるようになりました。「暴力が起きるかもしれない」という不安のふたが開いたと感じました。
最首 「生産しない者には価値がない」という容疑者の考え方は、経済主導の国家がはらむ問題に通じます。だから驚天動地の事件ではなく、「来たるべきものが来た」と感じました。
これまでの社会は「いかに生産するか」でした。団塊の世代がすべて75歳以上になる2025年には、認知症患者が全国で約700万人になる見込みです。働いて社会を支える人が少なくなり、生産する能力がない人に社会資源を注ぎ続ける余力がなくなる。
そのとき、生産しない人たちを社会はどう扱うのか、いよいよ問いを突きつけられている。これからの社会が、とてつもなく非人間的なものになるか、人間的なものになるのかという分岐点なのです。
――様々な問いを社会に突きつけた事件の裁判に何を期待しますか。
熊谷 植松容疑者は、話してほしい。対話すべき相手だと思っています。排除したくない。排除すれば、私が否定したいと思うところの彼の思想に同化してしまうことになります。
最首 このまま幽閉したり死刑にしたりして欲しくない。八つ裂きにしたいという気持ちの一方で、言葉に出来ないことも含めて吐き出して欲しい。そこに国家とか国民とかいう統合体の抱えているすさまじさ、非人間性が出てくると思います。