ファン・ボイ・チャウ記念館にある肖像画の前に立つ、孫のキャットさん=ベトナム中部フエ、鈴木暁子撮影
28日からベトナムを初訪問する天皇、皇后両陛下。3月4日に中部フエ市で、フランスからの独立を指導したファン・ボイ・チャウの記念館に足を運ぶ。チャウは日本に学ぼうと多くの青年を日本に留学させた「東遊(ドンズー)運動」を展開し、日越交流の礎を築いた人物。関係者は「両陛下の訪問で功績が広まり、交流が深まれば」と期待する。
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チャウは、日本が明治維新を成功させ、欧米列強に肩を並べようとした姿に刺激を受け、1905年に武器援助を求めて日本を訪れた。有力者の大隈重信や犬養毅らを頼ったが、日本政府はフランスとの関係悪化を懸念。「まずは人材育成を」と諭され、ベトナムの青年を日本に留学させる「東遊運動」を始めた。約200人が日本に派遣され、民間機関などで日本語や軍事戦略を学んだ。
だが、07年に日仏協約が締結されると、仏政府は日本側にベトナム青年たちの送還を要求し、東遊運動は行き詰まった。危機に立たされたチャウを支援したのが、神奈川県小田原で開業していた静岡県袋井市出身の医師浅羽佐喜太郎(あさばさきたろう)だった。袋井市の有志でつくる「浅羽ベトナム会」によると、佐喜太郎はチャウの活動に共感し、面識はなかったものの資金を提供。青年たちが帰国するまでの集団生活の場も提供した。
チャウの研究を続ける歴史家のチュオン・タウ氏(81)は「東遊運動は短期間だったが、ベトナムがフィリピンやタイなどと外交を始めるきっかけにもなり、国を支える人材育成の意味でも大きな意義があった」と評価する。
しかし、佐喜太郎の支援は日本…