村人の遺体の下で生き延びたチュオン・ティ・レさん(左)とドー・タン・ズンさん親子=旧ソンミ村、鈴木暁子撮影
ベトナム戦争中、無抵抗の村民が殺害された「ソンミ村虐殺事件」から50年が過ぎた。地元には今も生々しい記憶を抱える生存者がいる。一方で、対戦国だった米国や韓国の市民が村を訪れ、それぞれのつぐない方を模索している。(旧ソンミ村〈ベトナム中部〉=鈴木暁子)
ベトナム戦争中、村民504人犠牲に
1968年3月16日早朝、朝食の支度をしていたファム・ティ・トゥアンさん(80)は銃声が響くのを聞いた。「家畜が撃たれたのかしら」。外を見ると米兵が村民を襲っていた。
米兵は5歳と3歳の娘とともに小川まで歩くようトゥアンさんに命じた。集めた村民を川辺に並ばせると、米兵は機関銃で撃ち始めた。衝撃で無傷のまま転んだトゥアンさん親子の上に、撃たれた体がいくつも重なった。
「どうか泣き出さないで」。死んだふりをしながら、祈るように3歳の娘の口にお乳を含ませ続けた。遺体の隙間から、トゥアンさんの父親が頭を撃ち抜かれるのが見えたが、叫ぶこともできなかった。数時間後に救出されると、同じ場所で約170人が殺されていた。「命があるのは亡くなった隣人たちのおかげ」。トゥアンさんは50年たった今も胸が痛む。
母親ら8人の家族を失ったチュオン・ティ・レさん(88)は、米兵が「ベトコン!」と叫びながら襲ったのを覚えている。トゥアンさんとは別の場所に約100人が集められた。やはり村民の血まみれの遺体にまぎれ、当時5歳の長男ドー・タン・ズンさん(55)とともに生き延びた。
ズンさんは「今も時折、血のにおいがよみがえる。でも憎み続けるのではなく、二度と起きないよう願いながら前に進みたい」。
村で虐殺された504人の大半は子ども、女性、高齢者だった。
米韓市民、それぞれの償い
虐殺50年の記念式典には米国人も参加した。
正装のアオザイ姿のマイク・ベイムさん(70)は68~69年にベトナムに従軍。戦闘には参加しなかったが、帰国後に米軍の行いを知り、衝撃を受けた。92年からクアンガイ省に学校や診療所をつくり、貧しい人々を支援している。「過去から目を背ける米国人は多いが、私は私にできることを続ける」
道に転がる子らの遺体、にらむようにカメラを見る高齢の男性。村の資料館に展示された写真を撮影したロナルド・ヘイバリーさん(76)は米国の元従軍カメラマン。米誌「ライフ」や新聞に掲載された写真は米国で反戦運動が高まるきっかけにもなった。なぜ助けなかったのかと問う声もあるが、「写真を撮ることが抵抗だった。ここへ来たのは私なりの償いのため」。
代表的な一枚が「道に倒れた幼い兄が弟をかばうように抱く」とされた写真。2人は殺されたと言われていたが、式典の日、「あの少年は私」と名乗り出た男性がいた。チャン・バン・ドクさん(55)。当時5歳の自分と生後14カ月の妹だという。
「両国間の不幸な歴史に遺憾の意を表する」。韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領は3月、訪問先のハノイで述べた。
韓国は米国の同盟国として南ベトナム側に参戦。50年前、ソンミ村に近いハミ村で住民135人を虐殺したとされる。今年2月には韓国の市民41人が村を訪ね、土下座で謝罪する姿が報じられた。韓国ではベトナムでの行いへの反省と交流を促す市民団体の取り組みが続き、文大統領を後押ししたという。
ベトナム政府、謝罪や補償求めず
「ソンミの人々は痛みを乗り越え、米国の訪問者を受け入れてきた。過去を閉じて未来へ向かうことは、党と政府のみならず個々のベトナム国民の生き方でもある」。式典で地元クアンガイ省の当局者があいさつした。周辺ではデモなどの動きもなかった。
ベトナム政府は米国などに戦争被害の謝罪や補償を求めていない。京大大学院の伊藤正子准教授(ベトナム現代史)は「謝罪や補償に国民の関心が及び、対戦国への感情が悪化して外交に影響が出ることをベトナムは懸念している。逆に『過去を閉じて未来へ向かおう』というスローガンを国民に貫徹させ、記憶にふたをしようとしている」と話す。
米国はベトナムにとって繊維製品などの輸出先で、最大の貿易相手国だ。韓国もサムスンなどが対ベトナム投資に力を入れてきた。
米調査機関ピュー・リサーチ・センターが2017年に実施した意識調査によると、ベトナム人の84%が米国に「好意的」と回答。また15年の調査ではベトナム人の80%以上が韓国に「好意的」との結果だった。
旧ソンミ村で住民支援を続ける財団代表のチュオン・ゴック・トゥイさんは「忍耐強く、利他的なのがベトナム人の気質だ。逃げた人を責めても、謝罪に戻ってきた人まで追及しようとしない」と話す。
「ベトナム人に権利意識が根づいていない」との見方もあり、国策に反してまで補償を求める動きは高まりにくいようだ。
◇
〈ソンミ村の虐殺〉 1968年3月16日朝、ベトナム中部クアンガイ省ソンミ(現ティンケ)村にカリー中尉率いる米軍部隊がヘリコプターで降り立ち、無抵抗の村民504人を殺害、家を焼き払った事件。69年に米誌などが報じて世界に衝撃を与えた。