■WBCを語ろう
国民的スポーツといわれる野球で、「日の丸」を背負ってプレーする重圧は、はかりしれません。金メダルを期待されながら4位に終わった北京五輪。準決勝と3位決定戦で三つのエラーをし、戦犯のように扱われたG.G.佐藤さん(38)が重圧を振り返り、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に向かう侍ジャパン(侍J)にエールを送りました。
特集:侍JxWBCの軌跡
特集:2017WBC
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北京のエラー? ああ、それ聞きます? なぜ、あのなんでもないフライを落としてしまったのか、いまでもわからないですよ。何百試合とやったのに、よりによってなぜあの試合、あの場面で。なんでおれなのか。だれか教えて欲しいです。
そりゃ悔しいですよ。日本代表に呼ばれて、あのエラーを取り返したい気持ちは、今でもあります。日の丸を背負って失ったものは、日の丸を背負ってじゃないと取り返せない。そういう気持ちは、一生消えないでしょうね。
■相手の国旗を見て「強そうだな」
冷静に考えると伏線はありました。日本代表に追加で呼ばれたとき、正直ナメていました。代表にはすごいメンバーがそろっているし、勝てるだろうと。
プロ入りしたのが25歳と遅く、レギュラー定着まで4年かかりました。あのころは毎試合、レギュラーを奪われたくないと必死でした。家族を養わなきゃいけないし、生活がかかっていますから。一方で、もし負けても五輪だったら生活を失うわけではないという気持ちはどこかにありました。
北京で韓国やキューバの選手を見て、その緩みは消えました。殺気立っているというか、彼らの胸の国旗から出ているんです、気迫が。「うわ、強そうだな。やべーところに来てしまったな」と感じました。普段は相手が強そうだなんて思わないんですが、やり慣れていない相手ということもあったのでしょう。
■緊張のあまり吐く選手も
予選リーグは本塁打を打ち、調子は悪くはなかった。でも準決勝から、一気に雰囲気が変わりました。だって、絶対に負けられないんですもん。星野仙一監督は「日本のためにひとつになろう」「金メダルは国民の悲願だ」と強い言葉で鼓舞してくるし。それを聞いて奮い立つというよりも、正直ちょっと落ち着かせてくれ、と思っていました。
周りを見ると、みんな顔面蒼白(そうはく)でガッチガチです。ベンチ裏では緊張で吐いている選手もいました。経験豊富な稲葉篤紀さんでさえ、集中しているのか緊張しているのか、じっと下向いて言葉が少なかった。そんな雰囲気での韓国戦。スタジアムで先発メンバーとして名前がコールされたとき、全身に鳥肌がたちました。足のつま先までですよ。悪寒みたいな感じがきて、ぶわっと汗が出ました。
■「打球こっちに飛んでくるな」
4回にレフト前に落ちたなんでもないゴロを捕球できずにトンネル(後逸)してしまい、それが失点につながります。そこから弱気になった。あんななんでもないゴロも捕れないのに、フライなんか捕れるはずないって。「こっちにくるなよ。マジで頼む。飛んでくるなよ」と祈るような気持ちでした。
でもね、飛んできたんですよ。8回、2点差で負けていて、もうこれ以上は失点できない場面で。最初「(センターの)青木(宣親)、捕ってくれ」と思いましたが、打球はこっちに来るわけ。だから、打球を見失ったわけではないんです。球は見えていた。落下点もわかっていた。でも、なぜか捕球できなかった。理由? わからない。おれが知りたいです。
その後の試合展開は、記憶にありません。青木が「太陽が目に入ったんですよね?」と、フォローで聞いてくれたらしいのですが「いや、捕れなかった」と、ボソッと言ったとか。そんな会話すらも記憶にないんです。
■翌日もまさかのスタメン出場
3位決定戦の米国戦は翌日でした。金メダルが消えて気持ちは切れていましたね。宮本慎也さんは「銅でもメダルを持って帰ろう」と声をかけていましたが、金という絶対的な目標を失って、チーム全体が立て直せる雰囲気じゃなかった。準決勝で負けた日の夜は、同級生だった阿部慎之助と森野将彦が誘ってくれて、いっしょに晩ご飯を食べました。励ましてくれて、それはありがたかった。「二つもエラーをしたし、明日はもう使われないよなー」なんて話していました。
ところが星野監督の男気起用で、先発出場です。翌朝告げられて、そこから気持ちつくって、相手投手の映像を見て、急いで準備しましたが、間に合うはずがありません。星野監督がその後のインタビューで「失敗したやつに取り返させたいと思った。じゃないと彼らの野球人生がダメになる」と話していたのを聞いて、その期待に沿う準備をしていなかったことが、本当に申し訳なかったと思いました。
■打球がスローモーションでぽとり
弱気がエラーを呼び込んでしまったじゃないですけど、3位決定戦は出ると決まった後、エラーは忘れて強気でいこうと臨みました。こっち来た球は全部捕ってやろうという意気でした。3回、ふらふらとした打球がレフト前に上がりました。ショートの中島裕之が腕を回して「オーライ」って捕球体勢に入っていたのに、前進して「どけー」って声出して、突っ込んでいったんです。レフトからも間に合うタイミングだったし、中島がどいてくれて、捕球体勢に入ったときでした。
目の前にある打球がスローモーションになって、「あ、これは捕れない」と悟りました。よく交通事故の瞬間はスローモーションになるっていうじゃないですか。そんな感じです。
打球がグラブに収まらず、ゆっくり自分の右側を通り過ぎて、地面に向かって落ちていくんです。スローでゆっくりと。「ああああああああ」と思いました。それで、球が地面に落ちた瞬間、ズドーンって大きな音がして、スローモーションから現実に戻りました。コロコロコロとボールが後ろに転がっていって、猛ダッシュでそれを拾って投げました。あとは覚えていないです。
■帰国の飛行機「墜(お)ちてくれ」
飛行機が苦手でした。墜ちるんじゃないかと怖くて。飛行機の移動で眠ったことがありませんでした。でも、北京からの帰りの飛行機は、人生で初めて眠れました。「頼むから飛行機墜ちてくれ、日本に着かないでくれ」って思ったからです。そしたら、眠っちゃってた。それだけ日本に帰りたくなかったです。
精神的に参って「死にたい」と、当時妊娠中の妻に言ったこともありました。妻は「これまで通りやっていこう」と平静に接してくれた。妻の存在には救われました。それから引退するまで、1試合1試合必死にプレーしました。
引退して自分の野球人生を振り返ったとき、幸せだったなと思います。北京のエラーだって、そもそもあの大舞台に立たなければなかったわけです。日本で最高の選手たちといっしょに野球ができた。自分はその最高のメンバーのひとりとして選ばれた。それは誇りに思います
■実はそんなに強くない侍J
WBC連覇の記憶が強いから、侍Jは世界最強というイメージがあるかもしれませんが、実は日本野球ってそんなに国際試合で勝てていないんです。メンバー全員がプロ選手で出た五輪では、金メダルをとったことはないですし。WBC連覇だって韓国に連敗したけれども、ルールに救われて勝ち上がった部分はあった。
やっぱり、国際大会はシーズンとは違う難しさがあります。普段通りなんてできっこないんです。だから、これで失敗したら諦めるしかないと思えるくらいまで、入念に入念に準備しておくことが大切です。
北京の経験で言えばレフトの守備練習が足りなかったです。元々はライトが本職で、無失策でシーズンを終えたこともあったので、守備に苦手意識はなかったです。それで、レフトも大丈夫だろうと思ってた部分はあった。
でも、実際に守ってみると右打者の打球の切れ方とか、切れていくゴロを捕球してから身体を反転させて二塁に投げる動作とか、ライトの守備とは動きが違った。そのことに気がついたときには、もう準備する時間はなかった。レフト本職の選手にコミュニケーションをとって、普段から学んでおくべきでした。
■プレッシャーを力に変えろ
あと、五輪ならではの雰囲気もありました。特に韓国です。「テーハミング、テーハミング」の力強い応援は、いまも耳に残っています。あれは、嫌でしたね。「ニッポン、チャチャチャ」とは覇気が全然違う。
韓国選手だって日本同様にプレッシャーはあったはずですが、彼らはそれを力に変えたのだと思う。準決勝で日本に勝ったとき、最後のフライを捕った韓国選手は、歓喜のあまり、その場にうずくまって立てなくなっていました。
逆の立場で、もし日本が勝ったとしても、ゲームセットの瞬間、立てなくなるほど喜んだだろうかと想像すると、そこまでじゃなかったと思います。それだけ、勝利への執念が韓国選手にはあったわけです。
■勝利への執念を見せてほしい
今回のWBCで侍Jのメンバーに見たいのは、そういう勝利への執念です。長打とか派手さなんかいらないから、小技と機動力という日本の強みを存分に発揮して、一丸となってつないで勝つ姿を見せて欲しいです。
今回はメジャーリーガーは青木しか参加せず、大谷翔平も欠場が決まり、メンバー的に心配の声もあるようですが、やる前から世界一を不安視するなんて、そんな寂しい話はありません。世界一になって喜ぶイメージを持って、全力で応援しましょう。
最後に一言? ああ、出たかったな、WBC。(聞き手・佐々木洋輔)
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ジー.ジー.さとう 本名、佐藤隆彦。1978年生まれ、千葉県出身。右投げ右打ち。法大卒業後、渡米しマイナーリーグで経験を積み、ドラフト7巡目指名で2004年に西武入団。持ち前の長打を武器に中軸として活躍。2012年、イタリアリーグでプレーした後、NPBに復帰しロッテへ。2014年に引退。登録名の「G.G」は、顔がジジイ臭かったことから中学時代に「ジジイ佐藤」と呼ばれていたことが由来。38歳。