津波被害を受けた校内を点検する小山智恵子校長=2月9日、福島県浪江町立請戸小学校、竹谷俊之撮影
津波で押し流された給食室の器具、さびた机――。東日本大震災から6年となるいまも、福島県の浪江町立請戸(うけど)小学校には震災の爪痕が色濃く残る。
【パノラマ写真】震災4年、あの日の痕跡 浪江町立請戸小
特集:3.11震災・復興
2月上旬、小山智恵子校長が毎月行っている学校点検に同行した。
約6キロ先にある東京電力福島第一原発の事故の影響で町全域が避難区域となった。学校は休校中で子どもたちは各地に散り散りとなった。校舎は壁がはがれ落ち、天井の配管がむき出しになっていた。
小山校長は震災前に3年間、この学校の教頭を務めていた。「以前の姿を知っているだけに、涙が止まらなかった」。昨年度、校長として古巣に戻った。専任は小山校長だけ。ほかの教員は他校と兼務している。
住宅が立ち並んでいた学校周辺は更地が広がり、子どもたちが遊んでいた校庭は資材置き場となった。
「みんなどうしているかな。請戸のことも忘れてほしくない」。当時の在校生に寄稿を呼びかけ、昨年2月に文集にまとめた。
集まったのは半数ほどだった。「浪江から来たと自分から言いたくないという子どもの声もあった。私から出してとは言えなかった」。それでも、集まった文集には力強い言葉があふれていた。
「目標があって前に進める」。3年生だった女の子は、音楽で人を笑顔にしたいと中学校で吹奏楽に取り組んでいると書いた。6年生だった女の子はいま高校生。「あの時の苦しさを乗り越えたことは人生にきっと役立つ」とつづった。
震災から6年、今春には避難指示が解除される予定だ。町内には学校が整備される計画で、小山校長も校長会の一員として準備に携わる。「これからも子どもたちの気持ちに寄り添いたい」。児童がいない学校の校長だからこそ、できることがあると信じている。(向井宏樹)