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PL最後の部員の兄と甲子園に 大阪桐蔭の弟、夢叶える

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昨夏の大阪大会の開会式前に撮影した写真。右が恭大さん、左が海成さん(2016年7月、大阪市、藤原海成さん提供)


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(29日、選抜高校野球 大阪桐蔭4―2東海大福岡)


29日の第4試合で東海大福岡に4―2で勝利した大阪桐蔭(大阪)。レフトの藤原恭大(きょうた)君(2年)は守備につくとき、三塁側アルプススタンドに目をやった。そこには、この日、大阪府高野連から脱退したPL学園(大阪)硬式野球部の最後の部員の1人で、兄の海成さん(18)がいた。


PL学園、大阪府高野連から脱退 「けじめつけるため」


恭大君は小学1年の時、海成さんと共に父史成さん(41)が監督の軟式野球チームで野球を始めた。近所のバッティングセンターに週3回通い、毎晩家の前でバットを300回振った。父親に指導を受け、2人の打撃フォームはそっくりに。いつしか「一緒に甲子園に行く」が2人の合言葉になった。中学では別々のチームに分かれたが、いつも兄が気になった。


恭大君が中学2年の春、海成さんはPL学園に入学した。その夏、PL学園は大阪大会で準優勝。寮生活で離ればなれだった兄はワクワクした顔で「練習はしんどいけど、レベルが全然違う。ここで一緒に甲子園に行こうや」と誘った。だが、その直後、学校側から「翌年の部員募集停止」が告げられた。


PL学園には、後輩も野球経験のある監督も来ないまま。海成さんが2年の秋には部員は12人となった。「不安だったけど、逆に環境を前向きに捉えていた。少ない人数だからこそ、思う存分打撃練習もできた」


一方、恭大君は「日本一に一番近いチームに入りたい」と大阪桐蔭に入学した。練習でうまくいかなくなった時、「恭大は身体能力が高い。他の選手にも絶対負けないから、自分の力を信じろ」という海成さんの言葉が支えだった。


昨夏の大阪大会。大阪桐蔭は3回戦で敗退するも、恭大君は1年生ながらベンチ入りした。一方、PL学園は「最後の夏」として注目されたが、初戦で敗退。「兄に甲子園の景色を見せたい」が恭大君の新たな目標になった。


恭大君は中心選手となり、チームも近畿大会で4強に入り、選抜への切符をつかんだ。この日、恭大君は4打数無安打と、満足出来る活躍は出来なかった。それでも、スタンドで見守った海成さんは「本人が一番悔しいはずだけど、僕の夢をかなえてくれて、うれしかった。もう選手としてははるか上に超えられちゃいました」と話す。


「まだまだ海成の背中は超えられない。チームで一目おかれる存在になれたら、その時は超えられるかも」と話す恭大君は試合後は、「兄だけでなく、応援してくれる全員のため明日は絶対にヒットを打ちたい」と意気込んだ。(半田尚子)



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