タイムズスクエアで阿波踊りを披露する米沢渉さん(手前中央)ら寶船のメンバー(2015年4月、米ニューヨーク、寶船提供)
「踊る阿呆(あほう)」を世界に増やしたい。東京のプロ阿波踊り集団「寶(たから)船」が、「Awa Dance」として広めている。誰でも踊れるシンプルな振り付けで、言葉を越えて得られる一体感。徳島県阿波市では街おこしを狙い、世界から踊り手を集める催しも始めた。
2月上旬、スリランカ。日本のオタク文化や伝統芸能を紹介する「ジャパンエキスポプレミア」の最終日。寶船のリーダー米沢渉さん(31)らの「ヤットサー」のかけ声に合わせ、観客ら約1600人がリズムよく手と足を前に出す。舞台では赤い法被の若者たち5人。目元には朱と黒の化粧。白塗りの男性もいる。
「10、9、8……」とカウントダウン。ゼロの瞬間に和太鼓とかねが激しく打ち鳴らされ、拍手と歓声に包まれた。渉さんは「英語もできない自分が、生まれも言葉も違う人たちと一瞬でつながれました」。
寶船はスリランカに約2週間滞在し、学校や寺院で約20回公演。エキスポの総合プロデューサー古里健司さん(53)は「『伝統と今』を融合した彼らの踊りこそ、日本の多様性を伝えられると考えた」と話す。
渉さんの父・曜(あきら)さん(67)は徳島県出身。1995年、「家庭用ゲーム機ばかりしていてはもったいない。体を動かして絆を深め、称賛される体験をさせたい」と、渉さんの友だちや姉弟らを中心に、東京で寶船を結成。週に1度、小学校の体育館で練習し、三鷹や高円寺の阿波踊りに出演した。
渉さんは当時、小学4年。サッカーやバスケットボールなどを楽しむ友人たちを横目に、阿波踊りは次第に「ダサくて友だちに言えない」ものに。高校卒業後はバンド活動でCDも発売したが、「人まねにすぎない」と言われて伸び悩んだころに転機が訪れた。
東日本大震災が起きた2011…