高安(右)は照ノ富士に小手投げで敗れる=恵原弘太郎撮影
(28日、大相撲夏場所千秋楽)
「高安関、フィリピンとの架け橋に」 秋元才加さん
どすこいタイムズ
下地が無いと化けることは出来ない。高安を変えたのは前への圧力。それを付けたのは、稀勢の里との地道な「三番稽古」だった。
角界で言う「三番」とは数多くの意味。2人だけの稽古で多い時は30番以上。何人も参加する申し合い稽古は、勝った方が土俵に残る。だが、三番は勝ち負けにこだわらず、力を出し合うために行う。下の者は手抜きは許されない。だから、自然と地力がつく。
三番と言えば、九重部屋の千代の富士と北勝海を思い出す。兄弟子の背を追って横綱まで上り詰めた北勝海の現八角理事長は、「クタクタになった時に全身、特に足を使って相手に力を伝えるコツが分かる。千代の富士さんに通じなくても場所では勝てる。五分なら絶好調だと思った」。
旧鳴戸部屋時代、稀勢の里は若の里(現西岩親方)にいつも指名されていた。その稀勢の里と今は高安が三番をしている。今場所前は横綱のけがでなかったが、それまでは多い日は50番近くも。稀勢の里は「高安を引き上げてやることは自分の務め」と語る。
汗と泥にまみれた三番で力をつけた高安が、来場所からは協会の看板である大関に座る。(竹園隆浩)