木下孝雄さん=2014年2月、皆川光男さん提供
4人の生還を祈っていた家族や知人からは、「全員死亡」の知らせに悲痛な声があがった。
富山の小型機墜落、4人死亡確認 北アルプスで機体発見
小口英児さん(48)=長野県岡谷市=のいとこで、近所に住む会社員男性(44)は「何と言っていいか分からない」と声を落とした。小口さんは子どもの頃から飛行機が好きで、「飛行機に乗りたい」と、空港のフェンスにしがみつくほどだった。パイロットに憧れ、一生懸命勉強して自家用の操縦免許を取ったという。両親を小型機に乗せ、上空から「あの辺が家だね」と楽しませていたという。
一人っ子で、父親を今年3月に亡くし、母親と2人暮らしだった。母親は「天気が悪かったのに。行かなければよかったのに」と悔やんでいたという。
近所に住む70代の女性は3日夕、事故のニュースを聞いて小口さんの自宅に駆けつけた。母親は夕飯を作って小口さんの帰りを待っており、「帰りが遅い」と心配していたが、事故の連絡を受け「お父さんが連れて行ってしまった」と泣いたという。
事故直後、「助けて」と連絡を入れたという河西勝基さん(21)=同県下諏訪町=の死亡も確認された。
河西さんが所属する下諏訪町消防団の分団長で、近所に住む大久保卓宏さん(55)は4日朝、搬送先の病院に向かった河西さんの父親から「ダメだった」とメールを受けた。その後、葬儀準備の連絡を電話で受けた。父親は「もしもし」と言ったあと、電話口で泣き崩れたという。
河西さんとは、今月行われる消防団のポンプ操法技術を競う大会に向けた練習でほぼ毎日会っていた。事故があった3日の朝も約1時間、一緒に練習した。昨年は準優勝。河西さんは「今年こそは優勝を」と真っ先に練習に来ていた。大久保さんは「明日も練習で会うつもりだった」と言葉を詰まらせた。
事故直後の通報では「意識がある」とされていた樋口和樹さん(22)=同県富士見町=も亡くなった。少年野球の監督として指導したことのある池田利隆さん(49)は今年3月、地元のスポーツ大会で、樋口さんと久々に再会した。「元気で明るく、楽しそうだった。協調性のあるしっかりした社会人になっていた。昨日は意識があったと聞いていたので、本当に残念だ」
松本空港近くで理容店を営む皆川光男さん(63)は、教官役だった木下孝雄さん(57)=同県松本市=が操縦する小型機に何度も乗せてもらった。気流で揺れると「大丈夫ですか」と気遣ってくれた。「真面目で頼もしい方だと安心できた。なぜ事故が起きたのか」と悼んだ。
小口さん、河西さん、樋口さんの3人が勤務していた同県岡谷市の搬送機器メーカー「マルヤス機械」の林広一郎社長(57)によると、小口さんはベルトコンベヤーを設計する課で係長を務め、部下に河西さんと樋口さんがいた。「全員の生還を祈っていたが、最悪の事態となり言葉も無い。静かにご冥福を祈りたい」と話した。