7日のシリアとの強化試合に出場した日本代表の山口=内田光撮影
サッカーの日本代表に初めて選ばれたのは、22歳のとき。それから約4年、MF山口蛍(26)は、ときにはパスで攻撃を組み立て、ときには体を張った守りでピンチの芽を摘む不動のボランチに成長した。飛躍のきっかけは、ワールドカップ(W杯)アジア最終予選で、日本の窮地を救った昨秋のイラク戦のゴールだった。
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右足のボレーシュート――。そこから生まれた劇的な決勝ゴールが、日本代表で戦う意識を変えた。
昨年10月6日のW杯アジア最終予選のイラク戦だった。1―1の試合終了間際、敵ゴール前での浮いたこぼれ球を、ジャストミート。シュートは密集をすり抜け、ゴール左へ。地鳴りのような歓声が本拠に響いた。くしくも、この日は26歳の誕生日だった。
この試合、日本は1勝1敗で迎えていた。もし格下のイラクに引き分けていたら……。混戦のB組で日本は首位に立つが、ロシアへの道は今よりも厳しい状況になっていた。日本の潮目を変えたゴールはまた、山口自身を覚醒させた。
「ドイツから帰ってきて間もない時で、周囲のいろんなものを一気に軽くできたゴールだった。間違いなく、代表での自分が変わった瞬間だった」
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ほんの直前まで、暗闇の中でもがいていた。
その要因は、わずか半年、6試合の出場で終わったドイツ1部ハノーバーでの苦い経験だった。
子どもの頃から憧れていた海外…