追悼の辞を述べながら涙ぐむ津久井やまゆり園の入倉かおる園長=相模原市南区、代表撮影
24日にあった津久井やまゆり園の追悼式で、入倉かおる園長は「園の地に降り立って身を置くと、あなたの息吹を感じる。風に吹かれると、あなたのしぐさがよみがえる。朝の日差しがまぶしい時、あなたの笑顔を思い出す」と涙ながらに追悼の辞を述べた。全文は以下の通り。
津久井やまゆり園事件から1年 670人集い追悼式
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毎年めでていた津久井やまゆり園の桜は今年も見事に咲きました。でも私は、今年の桜をゆっくり見上げることはできませんでした。引っ越しで忙しかったからではありません。あなたと一緒に毎年見上げていた、一緒に花見をしていたことを思い出してつらくて見上げることができなかったのです。
あの日がなければ、今年の桜も一緒に見上げることができたに違いありません。桜だけではなく、プールで夏を満喫することも、食欲の秋を謳歌(おうか)することも、音楽に合わせて歌を口ずさむことも、あの日がなければ、そんな穏やかな日が繰り広げられていたに違いないのです。
津久井やまゆり園の地に降り立って身を置くと、あなたの息吹を感じます。風に吹かれると、あなたのしぐさがよみがえります。朝の日差しがまぶしい時、あなたの笑顔を思い出します。色とりどりのあじさいを眺めると、あなたの服と重なります。
突然命を奪われた無念さ、残されたご家族のみなさまの悲しみ、苦しみには、到底およぶものではありません。それでもあの日まで、それまで一緒に過ごしていた仲間の1人として、言葉にならない悲しみ、哀悼の思いを胸に、この1年過ごしてきました。
あの日守ってあげることができなかったことの申し訳ない思いで、時間が止まったような1年でした。本当に申し訳ありませんでした。気が付けば夏を迎えていたのでした。
この1年の間、高い空から見下ろして、私たちを見ていてくれたのでしょうか。悲しみに暮れるご家族を、見守っていてくれたのでしょうか。これから私たちはどうしていけばいいのでしょうか。何を目指してやっていけばいいのでしょうか。
高い空からどうかしかって下さい。立ち止まるなと。高い空からどうか教えて下さい。一緒にご飯をたべた仲間がいると。同じ車でドライブをした仲間が待っていると。きっと1年が過ぎても、この悲しみは続くでしょう。それでも私たちは今、目の前にいるお一人おひとりに寄り添って、あの日の前まで繰り広げられていた暮らしを取り戻すために、誠心誠意尽くしていきます。
どうか高い空から見ていて下さい。津久井やまゆり園があの地に戻って、息吹を吹き返すまで、今それぞれの暮らしの中で、懸命に生活をしている仲間たちを、職員を。
そのことを伝えるために、今日はここにやってきました。
高い空に行ってしまった方々の、ご冥福をお祈りするとともに、ご家族のみなさまのお気持ちが、1日でも早く癒えることを願っております。
これで津久井やまゆり園園長、追悼の言葉とさせていただきます。