東日本大震災で亡くなった佐藤健太君=父親の美広さん提供
東日本大震災で9歳の一人息子を失った宮城県石巻市の佐藤美広(みつひろ)さん(56)、とも子さん(53)夫婦が7日、阪神甲子園球場で行われる全国高校野球選手権大会の開会式を見に行く。野球少年だった健太君が生きていれば、高校1年生。遺影と一緒に、息子が憧れていた場所を初めて訪れる。
健太君は、84人の児童と教職員が亡くなった石巻市立大川小の3年生だった。小2の秋から野球を始め、少しずつルールを覚え、めきめき上達していた。週末には美広さんにキャッチボールをせがみ、祖父が竹で作ってくれた器具を使ってバッティングの練習を繰り返した。美広さんらとテレビで高校野球の試合を見て、甲子園への思いも強めた。だが、震災では校庭から避難しかけたところを津波に襲われ、命を落とした。
県内の火葬場はいっぱいだった。自分たちの車で健太君の遺体を福島県まで運んだ佐藤さん夫婦は「あっちでも野球ができるように」、所属していた「大川マリンズ」の白のユニホームをかぶせた。チームメートの何人かも、同じようにユニホーム姿で送られ、監督も亡くなっていた。
震災の後は「絶望で何も考えられない」日が続いた。しかし、時間が経つにつれ、佐藤さん夫婦は少しずつ思い出を語り合うようになった。「健太が高校生になるころ、甲子園に行ってみたいな」。やがて、そう思うようになった。
自宅の仏壇には、打席に立つ健太君の写真が飾られている。左足を軽く浮かせ、タイミングを取っている姿。写真のそばには、亡くなる直前にキャッチボールをした軟球も。わずか1年半の野球人生だったが、与えてくれた思い出は数え切れない。甲子園もきっと、その一つになるはずだ。(加藤裕則)