您现在的位置: 贯通日本 >> 资讯 >> スポーツ >> 正文

野球留学、頑張ったけど記録員 家族に給料で恩返しが夢

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2017-8-14 8:42:16  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


二松学舎大付に敗れ、校歌を聴く明桜の記録員・植木大輔君(中央)=北村玲奈撮影


(13日、高校野球 二松学舎大付14―2明桜)


最新ニュースは「バーチャル高校野球」


高校野球の動画ページ


みんなで決める「甲子園ベストゲーム47」


明桜の記録員を務めた植木大輔(3年)は2―14の初戦敗退にも、泣かなかった。「いろいろあった高校野球ですけど、みんなで甲子園で終われた。やりきった。そう思えたから、涙も出ませんでした」


新潟県阿賀野市の出身。中学時代は硬式クラブチームの新潟ヤングの内野手でキャプテンだった。チームの先輩で前橋育英に進んだ人がいて、県外の進学に憧れた。そんなとき、チームのコーチでもあった父が「秋田の明桜はどうだ」と勧めてくれた。中学3年の夏、秋田に見学に行ってみると、新潟に比べて涼しかった。気に入った。関西から来る選手も多いと聞いた。とにかく甲子園に行きたくて、明桜進学を決めた。


入ってみると、関西出身の仲間のレベルが高くて驚かされた。頑張ったけど、ベンチ入りは遠い。2年の秋の大会が終わったとき、野球部長から「マネジャーにならないか」と言われた。


選手では力になれないのは、誰よりも自分が分かっていた。でも、すぐに気持ちの整理なんてつかなかった。1週間ぐらい悩みに悩んだ。新潟の父に電話すると、「立場が変わっても、チームの力になればいいんだよ」と言ってくれた。あのひとことで吹っ切れた。


今年の4月まで半年間は監督不在の状態だったから、練習メニューを考えたり、ノックも打ったり。あの時期は大変だった。夏の秋田大会を勝ちきったとき、「野球はへたくそだけど、甲子園へ行く力になれた」と思えた。


特待生でも何でもないから、遠く秋田まで来させてくれた両親には感謝してもしたりない。だから大学は自宅から通えるところに行く。もう自分で野球はしない。大学に通いながら、新潟ヤングの後輩たちに、自分が高校野球で学んだことを伝えてあげたいと思っている。将来はプロ野球の球団職員を目指すつもりだ。「給料で両親やじいちゃん、ばあちゃんに恩返しします。迷惑ばっかりかけてきたんですけど、いつか、僕がみんなの面倒を見られるぐらいになりたいです」



試合直後の取材スペースで、植木君と10分ほど話しました。最後に「新聞に載ったら送るからね」と言いました。そしたら彼は「もしかして1面をめくったところにある写真付きのヤツですか」と尋ねてきた。朝日新聞で言うところの「ひと」欄だ。「ごめんな、あれはこの大会で優勝した監督ぐらいじゃないと載らんわ」と言うと、「そうですよね、あれはヤバイっすよね」と植木君。「でも、いつかあそこに載るような人になってな」と伝えると、いい笑顔で「はい!」って返してくれました。植木君、がんばりや。同じ大輔として応援してます。(篠原大輔)




 

新闻录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇新闻:

  • 下一篇新闻:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    注册高达赢取大奖!

    09年2月《贯通日本语》杂志

    日本将于2018年正式启用自动轮

    日媒称日企将开拓中国电动汽车

    AKB48推出写真集 指原莉乃等“

    电影《混合双打》出剧照:新垣

    广告

    广告