川に設置された監視カメラの前に立つ新木信博さん。スマートフォンでいつでも水位を確認できる=広島市安佐北区
77人が亡くなった広島市の土砂災害から20日で3年を迎える。被災地では犠牲を無駄にしまいと、教訓を生かし、地域を守ろうとする動きが広がっている。
【特集】広島の土砂災害
2人が亡くなった安佐北区の三入(みいり)・桐原(とげ)地区。坂原昭夫さん(当時83)は近所の人に頼まれ、家のそばの側溝を塞いでいた流木を取り除く作業中、土砂に巻き込まれた。遺体は約17キロ下流の川の中で見つかった。
三入学区自主防災会連合会会長の新木(あたらしき)信博さん(67)は「建設会社を営んでいた経験から自主防災の活動に積極的に関わり、地域の人たちに頼りにされていた」と悔やむ。
この地区では当時、1メートル先が見えない土砂降りの中を川の様子を見に行き、居場所が分からなくなった人もいた。「住民を同じような危険にさらしてはいけない」。安全な場所で水位を確認できるよう市に要望。土砂災害の監視システムを研究する広島市立大学大学院の西正博教授の協力を得て、監視カメラが設置された。
地区では土砂崩れが起きる約10分前、「焦げくさいにおいがした」という証言が複数あった。このため、ガスセンサーを設置し、土砂崩れを事前に察知する研究も進められている。
新木さんは言う。「五感を総動員して兆候をつかまないと、これまでのやり方では命を守れない」
4人が死亡した同区可部東地区の新建(しんだて)自治会元役員、藤原明男さん(73)は近隣を見回って帰宅した直後、川からあふれた水に襲われた。自宅1階は高さ1メートルまで雨水と土砂が流れ込み、寝ていた96歳の母親を背負って2階へ逃げた。
水が引き、住民の安否確認を始めたが、自治会の連絡網は固定電話の番号のため、停電で使えなかった。受け持つ23軒を1軒ずつ回って無事を確かめたが、自治会全体では携帯電話がつながらない人もいて、すべての住民の状況は把握できなかった。
この経験から、藤原さんは町内に住むシステムエンジニアの森次(もりつぎ)茂広さん(52)と安否確認システムを導入。登録した住民にメールが送られ、回答すると「自宅待機中」「支援が必要」などの情報がタブレット端末で即座に見られるようになった。
森次さんは「互いの安否が分かれば無用な心配は不要になり、無駄のない動きができる。情報を共有し、助け合うのが目的です」。
■住民の意識改革へ
行政の取り組みも進んだ。広島市は避難情報を適切に発信できなかった教訓から、必要な情報を早く確実に届けるとともに、住民の意識改革に乗り出した。
2014年8月20日午前3時半すぎ、各地で土石流が相次ぎ、「家が倒壊した」「3人が生き埋めになった」などと悲痛な119番通報が100件以上殺到した。しかし、市が出した避難勧告は最も早い地域で午前4時15分。避難指示は午前7時58分だった。
従来の市の基準では住民は守れなかった。市は避難勧告などを出す際の判断基準を全体的に見直し、参照する気象データは土砂災害の危険度を5キロ四方で細かく示す県と気象庁の情報に絞った。市災害対策課の担当者は「市民でもテレビやパソコンで入手できる気象情報を判断基準にし、避難につなげやすくした」と話す。
情報伝達の方法も課題のひとつだ。市が避難勧告などを出した場合、地区の消防団員らがサイレンのある場所に行き、手動で電源を入れていたが、区役所などから遠隔操作できるようにした。さらに消防団員らが持つ防災行政無線の受信機を要支援者にも貸与した。
住民の危機意識の希薄さも問題になった。市が被災地の住民約1千人に行ったアンケートでは、回答者の半数近くが自分の住む地域が「がけ崩れ・土石流」に対し、「安全」「まあ安全」と答えた。7割以上は避難しなかった。
そのため、市は危険認識や防災意識を持ってもらおうと15年10月から、住民が中心となって避難経路や危険箇所を書き込む「わがまち防災マップ」の作成を支援する事業を開始。これまでに市内1900地区のうち、280地区で詳細な防災マップが完成した。
被災地に似た急傾斜地に囲まれた地形の安芸区の伏附(ふしつく)町内会会長の金月(かねつき)節男さん(75)は「漠然としていた危機意識が、身近に災害が起き、マップ作りをしたことで、確かなものになった」と話した。(千種辰弥)