生前のゴードン・ベルさん(左)と妻(アマンダさん提供)
オーストラリア軍兵士として日本軍の捕虜になった父親が、「命の恩人」と語っていた日本人の元軍医はどこに――。3姉妹が30年近く捜し、ようやく元軍医の妻にたどりついた。元兵士と元軍医はともに亡くなっているが、双方の遺族たちは改めて、戦争がもたらすものに思いを巡らせる。
元軍医を捜していたのは、2001年に80歳で亡くなった故ゴードン・ベルさんの娘、アマンダさん(61)、ミーガンさん(59)、トレーシーさん(56)の3姉妹。いまはオーストラリアの首都キャンベラに近い街で暮らす。
1920年生まれのゴードンさんは、40年にオーストラリア陸軍に入隊し、衛生兵になった。42年にインドネシアで日本軍の捕虜になり、ジャワ島の収容所に入れられた。45年8月の日本の敗戦で解放され、戦後はオーストラリアに戻って大工になり、結婚して家庭を築いた。
姉妹は父親から、「日本人の軍医に命を助けてもらった」と聞かされて育った。バタビア(現ジャカルタ)にあった病院収容所で、病院長を務めていた光藤葆光(やすてる)さんが、赤痢を患って体調を崩していた父親の便を調べ、タイとミャンマー(ビルマ)を結ぶ鉄道の建設要員に選ばなかったという。この鉄道建設では数万人の捕虜らが死亡した。「あれだけ弱っていたときに送られていたら私は死んでいた」と父親はよく話していた。
父親が光藤さんにお辞儀をする…