1993年2月の曲
もういちど流行歌 1993年2月の曲
「有三さん、これ何? なんて読むの?」
新曲として「慟哭(どうこく)」を与えられた工藤静香さんは、プロデューサーの渡辺有三さんに尋ねた。辞書を引くと、「ひと晩じゅう 泣いて泣いて泣いて」というサビのフレーズ同様、泣き叫ぶ、嘆き悲しむ――。そんな意味が載っていた。
もういちど流行歌
工藤静香30周年、10代の娘は「有名だったんだね」
作詞は中島みゆきさん。一人の女性の経験をリアルに描いた。主人公の女性は「友達」である男性に恋していたが、避けられているようにも感じていた。一晩中「慟哭」し、男性への感情は友情ではなく愛情だと確信する。
だが、その直後に男性は恋人である別の女性を、「友達」である主人公に紹介。男性に「どう思う?」と耳元で尋ねられた主人公は答える。「そうね二人とても似合うわ」
工藤さんは「あまりにも内容が濃いから、暗く歌うのはやめよう。『こんなこともあってね』と、過去を笑って振り返る歌にしたい」と、後藤次利さんのメロディーに合わせ、軽やかにリズムを刻んで歌った。
曲は大ヒット。一方で、事務所にこんな意見が届いたことを覚えている。
《つらい歌なのに、どうして明るく歌うんですか》
工藤さんは24年前の質問に、こう答えた。
「男性は偉そうに、お前も早く誰かを探せよと主人公をからかう。上から目線なんです。こんな傷つけられ方をしたら、主人公だって吹っ切れて、男性より更に上から目線にもなる。『こういう男だったのね。よし、卒業!』と。一晩中泣いた後、こんなことされたら『もうイイでしょ』ってなるじゃないですか?」
読者はこの曲をどう聴いていたのか。「そうよそうよ、そうなのよ! 男ってなんであんなに鈍感なの?って共感していました」(兵庫、44歳女性)。「当時、年齢のわりに子どもだった私はこの曲を理解していなくて、大人になってから、だいぶ遅れて苦しい女心の曲に泣きました」(神奈川、48歳女性)
中島みゆきさんのセルフカバーが好きという声もあれば、「工藤静香の方が聴きやすい。彼女の軽さが必要」(東京、45歳女性)、「自分の歌にできている」(兵庫、52歳男性)など「静香派」も多かった。
変化を渇望していた
様々な思い出も寄せられた。「妻は工藤静香の歌が非常にうまい。『慟哭』はまだ付き合っていたころだった」(北海道、50歳男性)。「仕事を続けることができるかどうかの瀬戸際で、悩んでいた。この歌のように恋愛で悩む方が楽」(大阪、59歳男性)
実は、工藤さん自身も、「慟哭」のころは「歌手としても女としても葛藤があった」と振り返る。「すさんでました。家で一人になって何か考えるのが嫌で、出かけてばかりでした」
アイドルグループ「おニャン子クラブ」で注目され、1987年、17歳でソロデビュー。数々のシングルがチャートの1位を獲得した。楽曲に恵まれ、結果も出ているのに、変化を渇望していた。「可愛く聞こえる、この声を改造したい。ダンスビートやロッカバラードが似合う、太いハスキーな声が欲しい」。のどをつぶそうと日本酒やウォッカで、文字通りうがいした。でも声はすぐ元に戻り、無駄なことだとわかった。
直前に出していたシングル「声を聴かせて」は、声帯を開くことを意識していた。歌い方を元に戻した「慟哭」は自身最大のヒットとなったが、同時に「『慟哭』より更に上は、もうないんだな」と感じた。
読者は当時の歌声をどう聴いていたのか。「おニャン子クラブにいた時よりもずっと大人でしっかりとした、本当の静香が出ていた」(東京、62歳女性)、「不良っぽい彼女がこんな切ない歌を歌うと胸に迫る」(埼玉、48歳男性)。「細い体形に似合わない野太い雰囲気で歌う歌い方が格好良かった」(東京、58歳女性)。こんな声も興味深い。「おニャン子の中で際立つ個性。AKB48で工藤さんのようになれるのは?」(埼玉、60歳男性)
この秋、ソロデビュー30周年記念ライブを開催。「慟哭」「声を聴かせて」などのヒット曲を含め計31曲を歌った。「今は自然体。声が変わらなくても、積み重ねた経験から来る『何か』が伝わっていたらうれしい」。ライブの声は、葛藤の逸話が信じられないほどソウルフルだった。(寺下真理加)
夢あふれる「世界中の誰よりきっと」
昨秋に本欄で取り上げたZARDの「負けないで」に次いで人気だったのが、中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」。「突き抜けて夢と希望にあふれた曲。この時期、一番好きでした」(神奈川、48歳女性)、「今聴いてもいい。ミポリンにはもっと歌手としても活動してほしい」(鳥取、58歳女性)。楽曲の魅力や中山美穂さんへの思いを語る人が多かった。
「皆のあこがれの女の子といかにデュエットするかがカギだった」(埼玉、54歳男性)、「当時付き合っていた彼女(今の妻)とカラオケでよく歌った」(北海道、59歳男性)。デュエット曲ならではの効用(?)があるらしい。「友達の結婚式で歌った思い出の曲です」(大阪、50歳女性)、「当時、結婚披露宴にかかる超定番でしたね」(神奈川、52歳男性)。結婚ソングとしての人気も高かったようだ。
ドラマで印象「ぼくたちの失敗」
ドラマ「高校教師」の主題歌だった森田童子さんの「ぼくたちの失敗」は読者ランク5位。「真田広之さんは生物の先生でしたが、私が好きだったのは英語の先生。片思いでしたが」(青森、41歳女性)。「ドラマも含めて印象に残ってます。友達も先生と不倫していたので」(大阪、42歳男性)
70年代にリリースされた曲のリバイバルだったため、50代の回答者は、ドラマより楽曲自体に自らの青春を重ねる傾向があった。「学生時代、当時黒テントで話題になっていた森田童子のライブを、どこかの大学祭で聴いて、細い声と独特な世界に惹(ひ)かれた」(静岡、58歳女性)。「若いころに、頻繁にラジオから流れていたこの曲が、再びメジャーに。流れてくる歌声に根拠のない、いら立ちや自信が入り交ざった当時の自分を思い出し、泣けてきそうでした」(京都、54歳女性)
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〈調査の方法〉 朝日新聞デジタルの会員登録者を対象に10月下旬、アンケートをお願いした。回答者数は1149人。調査会社オリコンが1993年2月に調べたシングル売り上げランキングの上位20曲から「好きな曲」「思い出深い曲」を選んでもらった。楽曲はこの月の発売とは限らず、また何カ月にもわたってランク入りする場合もある。アーティスト名の表記は当時のもの。