東西冷戦末期のソ連で起きた史上最悪の原発事故。西側諸国は、鉄のカーテンに隠された情報にいらだちつつも、原発推進という点ではソ連と利害が一致していた。外務省が20日に公開した外交文書からは、東京サミットの声明に配慮が重ねられていく様子が浮き彫りになった。
チェルノブイリ直後の東京G7、声明から「放射能」削除
特集:外交文書公開
写真特集「チェルノブイリを忘れない」
事故直後のチェルノブイリ原発4号機=同原発提供
チェルノブイリ原発事故が発生したのは、ソ連が崩壊する5年前の1986年4月26日午前1時23分。ソ連が自ら事故を発表したのは28日夜(日本時間29日未明)になってからだった。
日本は情報収集を急いだが、ソ連からはほとんど情報が出てこない。外交文書には、外務省がソ連大使館員を呼び出し、「公表されている内容を知らせるのではなく、総理からの要請に応じて知らせる形の情報を求めているのだ」と迫った、とある。
焦りの背景には、議長国を務める東京サミットの開幕が直後に迫っていた事情があった。サミットで事故をどう扱い、声明を出す場合はどんなトーンにするか。「情報収集の突っ込みに不足を感じる」「対応を至急照会されたい」。外務省が外交官を厳しく指導する公電も見られた。
事故を起こしたチェルノブイリ原発4号機(1986年、同原発提供)
核軍縮交渉を進めていた米国は当初、「ソ連を批判して追い詰めるべきではない」などとして声明を出すのに消極的だった。
それでも、日本は中曽根康弘首相の強い意向で声明の採択を目指す。5月1日付の「ソ連原発事故対処方針案」は、「安全の確保に万全を期しつつ、原発推進の必要性を再確認」すると明記。事故時のすみやかな通報体制の整備や、安全研究で国際的な協力を進めることも盛り込んだ。
原子力外交史に詳しい神奈川大の武田悠・非常勤講師は「原発推進が世界の潮流だと示すことで、自国の原発政策を進めやすくする共通の利点がどの国にもあった」とみる。
「極秘 無期限」の印がある文…
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