大石誠之助=和歌山県新宮市立図書館所蔵
和歌山県新宮市の市議会は21日、明治時代の大逆事件に連座して刑死した同市出身の医師、大石誠之助(1867~1911)を名誉市民にするよう市長に推薦することを決めた。市議会は2001年、「新宮グループ」とされる大石ら6人は弾圧事件の犠牲者だとして名誉回復を宣言する決議をしているが、復権と顕彰へさらに踏み込んだ。
大石は米国で医学を学んだ後、故郷に戻って医院を開業。貧しい人から治療費を取らず「毒取ル(ドクトル)先生」と呼ばれて慕われた。日露戦争の非戦論を唱え、人道的立場から公娼(こうしょう)に反対した。だが、全国の社会主義者らが弾圧された大逆事件で検挙され、1911年1月24日に刑死した。
新宮グループの中心だった大石を「民主主義や人道主義を実践した先達。すでに名誉市民になっている文化学院創設者の西村伊作、作家の佐藤春夫や中上健次に思想的影響を与えた」と評価する議員有志が、名誉市民に推す議案を提出。賛成多数で同意された。条例上、名誉市民の選定権をもつ田岡実千年市長は議会後、「議決を重く受け、遺族に報告した上で最終判断をしたい」と手続きを進める考えを示した。
大石を名誉市民にという動きは、刑死から100年を前にした2010年にも市民団体「『大逆事件』の犠牲者を顕彰する会」を中心に起こったが、そのときは議会の賛同者は少数で、田岡市長も「時期尚早」と判断したため実現しなかった。(東孝司)
◇
〈大逆事件〉 明治天皇の暗殺を計画したなどとして、1910年に全国の社会主義者や無政府主義者ら数百人が摘発され、明治憲法下にあった大逆罪で翌11年に24人が死刑判決を受けた事件。12人は無期懲役に減刑されたが、幸徳秋水や大石誠之助ら12人は処刑された。法的には最高裁で再審請求の特別抗告が棄却されている。