完成50周年を記念して霞が関ビルに映し出された幾何学模様の「デジタル掛け軸」=2018年4月11日夜、東京都千代田区
日本で初めて高さ100メートルを超えた高層ビル「霞が関ビル」(東京都千代田区)が12日、完成して半世紀を迎えた。高さでは後続のビルに次々と抜かれたとはいえ、編み出した新工法や資材は日本の高層建築に影響を与え続けた。
11日夜、霞が関ビルのテラスで記念イベントがあった。俳優の蒼井優さんらが参加。ビルの外観にプロジェクターで、幾何学模様の鮮やかな「デジタル掛け軸」が映し出された。
霞が関ビルが完成したのは1968年4月12日。地上36階建て、高さは147メートル。60年代前半に建築基準法などが改正されるまで高さ31メートルを超える建築は禁止されており、当時、100メートルを超える建物は日本になかった。完成すると「日本初の超高層ビル」と呼ばれて観光名所になり、88年に東京ドームが開業するまでは、「霞が関ビル○杯分」などと容積の尺度に使われもした。
建設を請け負った鹿島で現場監督を務めた角田勝馬さん(73)は、50年前の完成式典でビルを見上げ、涙がこみ上げたことを覚えている。「日本初の工事で、建築機械も資材も決まったものはない。大変なことばかりだった」
地震への対応を強化するため、柱や梁(はり)を組み合わせて建物を柔軟にすることで地震の揺れを吸収する「柔構造」を採用。建物がしなっても外壁や窓枠に影響させない工夫もした。また、極厚にしたH形鋼の使用や、組み上がった柱や梁を使ってクレーンを引き上げる技術など、生み出した素材、工法は数多い。
完成して2年後の70年、高さでは世界貿易センタービル(東京都港区、152メートル)に抜かれた。その後も、西新宿に200メートルを超えるビル群が建てられたり、2014年には300メートルのあべのハルカス(大阪市)が開業したり。現在、霞が関ビルは高さでは日本の上位100位にも入らない。東京駅前では390メートルのビル建設計画も進む。
それでも、「今も霞が関ビルに学ぶ必要がある」と話すのは、高層建築の歴史に詳しい高崎経済大の大澤昭彦准教授(都市計画)。「霞が関ビルは新しい都市の姿を作ろうと建てられた。今後の超高層ビルも経済性を追求するだけでなく、社会にどんな影響を与えたいのか示すべきだ」(北見英城)