摂食障害に苦しんだ過去や、復活の歩みを語る鈴木明子さん=遠藤啓生撮影
【鈴木明子と摂食障害】
2:「入院しよう」母の提案拒絶 鈴木「スケートできない」
鈴木明子と摂食障害①
2連続ジャンプをきれいに着氷し、会場に流れる「オペラ座の怪人」に合わせて、終盤もリンク上を表情豊かに舞った。最後のポーズを決めると、握りしめた両こぶしを思わず振り下ろした。4分間、ミスはなかった。
2013年12月23日、さいたま市で開かれたフィギュアスケート全日本選手権は、ソチ冬季五輪の最終選考会を兼ねていた。ショートプログラム2位からフリーに臨んだ鈴木明子(すずきあきこ)さん(33)は涙があふれた。「長かったけど、スケートをやってきてよかった」
18歳で摂食障害になり、半年以上、リンクで滑ることができなかった。「どん底」から復活し、フリー1位となる高得点での逆転優勝。2大会連続となる五輪出場を手に入れた。演技を見つめた母ケイ子(こ)さん(68)も感慨に浸った。「神様は最後にご褒美をくれるんだな」
スケートを始めたのは6歳の頃。色々な習い事をしていたが、「続けたい」と思えたのはスケートだった。小学校高学年から、愛知県豊橋市の自宅から名古屋市のリンクに練習に通った。かっぽう料理店を営む父の和則(かずのり)さん(71)とケイ子さんが忙しい時は、常連客が練習場まで迎えに来てくれることもあった。食事は和食中心だった。
中学生になると、夏休みや冬休みに、長久保裕(ながくぼひろし)コーチ(71)の仙台市であった合宿に参加し、指導を受けた。ジャンプは苦手だったが、「踊る」のは好きだった。優れた表現力で頭角を現し、高校1、2年生の時、全日本選手権で連続4位入賞。将来を期待されるようになった。
高校卒業後、東北福祉大(仙台市)に進み、長久保コーチの元でスケートに取り組むと決めた。当時、同じ愛知出身で同世代の安藤美姫(あんどうみき)さん(30)や中野友加里(なかのゆかり)さん(32)が、国内外で活躍しつつあった。
2003年3月、コーチの自宅での下宿生活が始まった。洗濯に掃除、自分で準備する食事。一つ一つ完璧に出来ないといらだってしまう。朝練習して、大学の講義が終わると、またリンクに立つ「スケート漬け」の生活もスタートした。
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