高校3年生の夏、文星芸大付(栃木)戦で力投するダース・ローマシュ匡さん=2006年8月8日、阪神甲子園球場
「岡山のダルビッシュ」。かつてそう呼ばれた高校球児がいる。甲子園を沸かせた右腕は今、憧れの存在だった大リーグ・カブスのダルビッシュ有(ゆう)投手(31)の記念館で働く。5月から館長に就任し、次の目標を追っている。
「気がついたらそう呼ばれていましたが、俺なんかが『ダルビッシュ』でいいのかなって思いました」。神戸市中央区の「スペース11 ダルビッシュ ミュージアム」。ダース・ローマシュ匡(たすく)さん(29)はそう言って笑った。
関西(かんぜい)高校(岡山)の元エース。2005、06年の選抜、選手権大会と春夏通算4回、甲子園の土を踏んだ。インド人の父親と日本人の母親を持ち、その顔立ちもあって、いつしか「岡山のダルビッシュ」と異名がついた。190センチの長身から繰り出される140キロを超える速球とスライダーが武器だった。
高3で出た06年の第78回選抜大会の2回戦では斎藤佑樹投手(29)=現日本ハム=擁する早稲田実(東京)と対戦。六回途中から登板したダースさんは158球を投げ、試合は3時間24分にも及ぶ投手戦になった。7―7の延長十五回引き分けとなり、翌日の再試合で敗れた。
最後の夏、第88回選手権大会の1回戦は文星芸大付(栃木)と対戦。一時は9―4と5点をリードしながら、最終回でサヨナラ負けを喫したが、ファンの記憶に残る戦いを繰り広げた。
07年にドラフト4巡目で、当時「本物」のダルビッシュ投手がいた日本ハムに入団。3年目の冬に、宮崎県で一緒に自主トレーニングをしたことがきっかけで連絡を取り合う仲に。食事を共にすることもあった。
「有さんみたいになれたら……」。背中を追ったが、11年に戦力外通告。5年間の在籍で1軍登板は2回だった。「何をしたいというのもなかった。人生が終わった。どうしたらいいんだろうって思いました」
そんなときダルビッシュ投手が…