打撃練習をする海翔の春田優希主将=2018年6月14日、弥富市六條町
6月6日、夏の大会のメンバー発表。野球部員が集まった教室に緊張の瞬間が訪れた。
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「背番号13、城野」
半田(東愛知)の城野蒼太君(3年)に真新しい背番号が手渡された。
2年前の7月、練習中に我慢できないほどの腰の痛みを感じた。病院では、腰椎(ようつい)分離症と脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)と診断された。「休め」。当時の監督に言われ、練習の補助役に回った。
投球マシンにボールを入れる。トスを上げる。「なんで練習できないんだ」。同級生との差が広がっていく気がして、焦った。
ただ、練習できなかったからこそ、磨かれていったものがあった。プレーを見る「目」だ。
元々は捕手。選手の観察は得意だった。「練習を見ることしかできない」と目をこらした。バットの立て方、体やひざの開き方、選球眼、送球のキレ。選手それぞれに好不調で、違いが出ると気づいた。「第三者として一歩引いて見ることが出来るようになった」
昨秋には、体調も回復。その眼力を買われ、新チームでは選手兼マネジャーとなった。練習メニューを決め、選手に改善点を指摘する。試合では、一塁コーチやブルペン捕手を担う。
「コースが甘い。もっとしっかり狙って」。ブルペン捕手として、投手が一球投げるごとに細かく助言。打撃練習をする選手には、「バット寝かせすぎだよ」などと指摘を欠かさない。 ケガを乗り越えて果たした夏のベンチ入り。「野球は誰か一人がうまくても勝てない。選手一人ひとりが努力を積み重ね、作戦を立てて戦うから勝てる」。野球ができる幸せを、かみしめている。
憧れの舞台、いよいよ 海翔の春田優希主将
腰から下がうまく動かせない。海翔(西愛知)の春田優希主将(3年)は、生まれながらに脊椎(せきつい)に異常のある「二分脊椎症」を持つ。高校野球界で6秒台が普通と言われる50メートル走は8秒9。ゴロの捕球にも苦労した。「でも、高校野球だけは絶対にやりたかった」
病気が発覚したのは小2の夏。今でも毎日薬を服用し、1日6回ほど体内から菌を出している。菌がうまく出し切れない時は、体調が悪化し、授業や練習を抜けて帰宅することもある。それでも、「高校野球って不思議。プレーしている時は病気のことを忘れてしまう」と話す。
スポーツは好きではなかったが、プロ野球や高校野球をテレビで観戦するのだけは別だった。「一球で流れが変わる。何より全力プレーがかっこいい」。2009年の中京大中京の甲子園での優勝や、15年夏の甲子園を沸かせた同校の上野翔太郎さんの投球に心動かされた。
小6で野球を始めたが、中学では「自分の体では練習についていけない」と断念。でも、どうしても諦めきれず、高校入学時に、野球部の門をたたいた。
体験練習で、思い切って病気のことを伝えた。すると、周囲のチームメートや辻村陽文監督(57)は「できる範囲のことをやっていこう」と理解してくれた。
下半身をゆっくり動かすトレーニングを重ね、ぎこちなかった動きが徐々に解消されていった。
「自分も貢献できる」と人一倍頑張ってきた声や気遣い、打撃力を買われ、新チームから一塁手のレギュラーと主将を務める。辻村監督は「何より高校野球がやりたい気持ちが強い」と評価する。
昨夏の大会、ベンチから見た憧れの舞台に興奮した。この夏、いよいよ出番がやってくる。「念願の夏。今年はグラウンドであの興奮を味わいたい」