復刻された昔の制服を着た従業員ら=2018年6月21日、名古屋市中区、吉本美奈子撮影
名古屋の老舗百貨店・丸栄の閉店が今月30日に迫っている。店内ではこれまでの歩みを振り返るイベントが催される一方、長年利用した客からは閉店を惜しむメッセージが寄せられている。
【特集】デパート
お嬢様ファッションで上質な売り場に 歴代の制服ずらり
「服は人を作る」という。「服装はその人を表す」ともいう。制服は時代を映す鏡。丸栄の歴代制服から、何が読み取れるのだろうか。
1990年代までの制服は、顧問デザイナーが担当。流行を採り入れ、鮮やかな色使いが目立った。その後はアパレル企業に委託し、社員の意見を踏まえて実用性を求めたという。
「時代の流行に当てはまる。ファッションリーダーに、という会社の思いが反映されているのではないか」。そう指摘するのは、名古屋文化短期大学講師、渡辺加奈さん(48)だ。
71年の制服は、英モデル・ツイッギーによってブームになったミニスカート。ユニセックスの機運が出始めた時代を表すようにネクタイを着用している。79年は、長めのスカートや色のコントラストで上品さを表現し、「お嬢様路線」が鮮明になった。
バブルの89年は、ボディコンの影響を受けた制服が登場。ウエストを絞った上着は「縁取り」も採用し、有名ブランドを意識した。しかし、過度なボディコンではない。渡辺さんの目には「上品なお嬢様ファッション」と映った。腰のラインも強調していないからだ。「高級な商品を扱い、品格のある売り場を意識したのでしょう。若い女性をターゲットにしたかったのだと思う」
84年に入社した顧客サービス課長の井川博美さん(52)は、90年代までのデザインを「華やかな明るい色で凝ったデザインが多かった。従業員の好みも分かれた」と話す。「でも、当時嫌だった制服もいま見るとかわいい。いろんな服に挑戦する経験ができた」
制服は7階特設会場で30日まで展示されている。数点をオートクチュール「Keiko Ikegami」の池上慶子さんが復刻した。丸栄のオーダーサロンの元専属デザイナー。「丸栄のお陰で今の私がある。当時からのお客様もいて、お役に立てたらという思いで作った」(山下奈緒子)
「丸栄で出会い結婚」 思い出のメッセージ1千枚
丸栄の7階特設会場に足を運んぶと、この百貨店がどれだけ、地元の人に愛されてきたのかが分かる。
5月17日に始まった「丸栄のあゆみ パネル展」に、来場者が丸栄の思い出をカードに書くコーナーがある。カードを社員が集め、高さ180センチのパネルに掲示。19枚のパネルは、約1千枚のカードで埋め尽くされている。
名古屋市北区の女性(74)は丸栄への思いを2枚のカードに書き綴(つづ)った。この日身につけていた若草色のジャケットとジーンズ、スニーカー、バッグはどれも丸栄で買った。「あんた丸栄好きやねえ、と笑われる。高齢者に優しい空間で、栄での用事のついでに立ち寄るデパートでした」
同市天白区の女性(83)は2月に88歳で亡くなった元社員の夫との思い出を書いた。思い出すのは定年後、2人で買い物に訪れた時のこと。「主人は茶こしとかを選んで楽しんでいた。見始めると長いから、いつも私が待たされた」
張り出されたカードには、客の思いが詰まったものが少なくない。「祖母と待ち合わせし、一緒に買い物をした。小学校の卒業式のスカート、成人式の振り袖、大学の卒業式のはかまを買ってもらったのも丸栄だった」「万国民芸物産展が楽しみで仕方なかった。誰しもが外国に行ける時代ではなかったころ、ロマンを感じた」
万感あふれる1枚もあった。「丸栄で出会い結婚しました。幸せでした。天国の主人も残念がっていると思います。ありがとう…」
パネル展は昔の制服や紙袋、写真も紹介している。閉店する30日までの開催。(細見るい)