練習開始前に花壇に黙礼する部員=大分市荏隈
楊志館の野球部グラウンドの片隅に小さな花壇がある。春にはチューリップ、夏にはヒマワリ……季節ごとにきれいな花で埋まる。よく見ていると、野球部の練習前後に部員たちが花壇の前で立ち止まり黙礼することに気づく。順番を待つ部員たちの列ができることもある。そんな光景が見られるようになって、もう10年になる。
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花壇の名は「アッコチューリップガーデン」。かつての部のマネジャー大崎耀子(あきこ)さんのあだ名からつけられた。
同校が初めて夏の甲子園に出場した2007年。大分大会の直前、2年生だった大崎さんにがんが見つかった。入院することになり、念願だった甲子園に行くことはできなかった。チームは甲子園で初出場ながら快進撃し、ベスト8入りをした。
大崎さんと同級生で打線の中軸を担った南圭介さん(27)は「あっこのために頑張るぞ、とチームが一つになった」と振り返る。
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翌年には大崎さんも記録員としてベンチ入りした。2年連続の甲子園出場を目指したが、大分大会の開幕戦で敗退。その後に大崎さんの体調は悪化し、再び入院した。
試合で結果が出ないと、大崎さんは「しっかりしろ!」と部員たちを鼓舞した。部員をよく見ていて、調子が悪ければ普段と何が違うかを指摘していた。多くの部員たちから頼りにされる存在だった。
当時の監督、宮地弘明さん(46)は大崎さんの体調悪化を聞き、「今度は彼女のために何かできないか」と部員たちと相談した。「春になって咲く花を、みんなであっこと一緒に見たい」。そんな願いを込めて花壇をつくり、春先に咲くチューリップを植えた。
だが、願いは届かなかった。最後のベンチ入りからわずか3カ月後、大崎さんは亡くなった。
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「いい練習ができたわい」「けがなく一日終わったわい」――。宮地さんが練習の前後に花壇の前で黙礼し、心の中で大崎さんと話すようになったのはそれからだ。毎日、その日あった何げないことを話しかけた。
部員たちには、そんなことを打ち明けたり勧めたりしたことはない。だが、その背中を見ていた部員たちは、いつしか同じように大崎さんと「対話」するようになっていた。
大崎さんを直接知る部員はいなくなっても、「対話」は自然と受け継がれた。いまの部員たちもそれで励まされ、活力を得ている。現主将の利光陸空(りく)君(3年)も、その一人だ。
入部した時に花壇について話を聞き、大崎さんのことを知った。「自分たちを支えてくれる人の存在を意識するようになった」。最初は先輩の姿をまねするだけだったが、やがて欠かせない習慣になった。
練習前には「今日も頑張ります」「一つでも多くいいプレーができるように見ていてください」と話しかける。練習後には、その日の反省点を報告。練習がうまくいかなかった日でも、それで気持ちが切り替わる。「明日も頑張ろう」という気持ちが湧いてくる。
南さんが顔を出すと、そんな部員たちの姿が目に入り、うれしくなる。誰の指示も強制もない。それでも確かに一つの伝統が受け継がれている。「自分たちを支えてくれたように、これからも部員たちを支え続けてほしい」と願う。
「人に話すのとは違うけれど、相談に乗ってもらって、支えてもらっている感覚なんです」と利光君は言う。間もなく開幕する大分大会。今年の夏は、大崎さんや家族など支えてくれている人たちへの感謝の気持ちを、いつも以上に胸に刻んで試合に臨むつもりだ。(小林圭)