元日本銀行総裁の松下康雄さんが亡くなった。旧大蔵事務次官、旧太陽神戸三井銀行(現・三井住友銀行)頭取を経て日銀総裁という、日本の金融界の主要ポストを歴任。バブル崩壊後の金融界の混乱に対応したが、日銀の接待汚職事件の責任をとり、志半ばで辞職した。
旧大蔵省(現・財務省)に1950年に入省後、官房長、主計局長、事務次官と同省での表舞台を歩んだ。主計局長時代は概算要求枠を前年度横ばいとするゼロ・シーリングを導入。一方、官房長時代は、鉄建公団が大蔵官僚を過剰接待した「公費天国」問題で、監督責任を問われ戒告処分を受けたこともあった。
次官時代から「将来の日銀総裁候補」といわれる中、都銀中位行だった太陽神戸銀行の頭取に請われて就任。「やりがいがあるなら」と自らが選んだという。三井銀行との合併を成し遂げ、太陽神戸三井銀行の初代会長に就いた。
94年12月、満を持して第27代日本銀行総裁に就任。大手金融の破綻(はたん)が相次ぎ、金融機関の資金繰りを支えて金融システムの安定化に奔走した。破綻した山一証券への日銀特別融資(日銀特融)の実施も決めた。
また、日銀法改正への道筋をつけた。98年4月の法施行後、日銀の政治や大蔵省からの独立性は飛躍的に高まり、政策決定過程の透明化につながった。
しかし自身は法施行直前の98年3月、日銀職員が金融機関から過剰な接待を受けた「接待汚職事件」に見舞われた。任期途中で福井俊彦副総裁(当時)とともに引責辞任に追い込まれた。その後は目立った公職につくことや、メディアの取材に応じるといった活動はほとんどなかった。(湯地正裕)