沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事(67)が亡くなってから一夜明けた9日、那覇市の自宅には弔問する人が次々と訪れ、県庁には半旗が掲げられた。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設工事が進む名護市辺野古では、反対派が黙禱(もくとう)し、辺野古移設への反対を訴え続けた知事の死を悼んだ。
辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前では午前8時、反対派の市民が1分間、黙禱した。沖縄平和運動センターの山城博治議長(65)は「訃報(ふほう)を聞き、昨夜はぼうぜんとした。仲間と支え合い、悲しみを越えて進んでいきたい」と話した。普段は午前9時ごろから資材を積んだ車両がゲートから基地内に入るが、6日から来ていないという。
午前8時半ごろからは、工事に抗議する市民ら約20人が腕に喪章を付けてカヌーで海に出た。4年前から海上で抗議を続ける芥川賞作家の目取真(めどるま)俊さん(57)は「翁長知事は自身にムチを打ち、渾身(こんしん)の力を振り絞ってプレッシャーと責任感の中で死の間際まで仕事を続けてきたと思う」と話した。
前夜、翁長氏が無言で帰宅した那覇市の自宅。側近として、米軍普天間飛行場の辺野古移設計画で政権側との交渉役を務めた安慶田(あげだ)光男・元副知事は弔問を終え、報道陣に「安らかな表情だった。覚悟をもった意志の強い、信念の男だった。こんなに早く逝くとは」と残念がった。
元沖縄開発庁長官の鈴木宗男氏は「沖縄人(ウチナーンチュ)の魂、心を堂々と打ち出しながら、日米関係は大局観を持って理解していた。沖縄にとっても、日本にとっても大事な人を失った」と惜しんだ。
県庁では午前10時、部局長が集まった。知事の職務代理者となった謝花(じゃはな)喜一郎副知事が、前日からの状況を説明し、出席者全員で黙禱したという。午後2時からは、辺野古の埋め立て承認の撤回に向け、沖縄防衛局の反論を聴く「聴聞」が予定されている。
9月にも実施される知事選に向けた動きも出始めた。自民党の県議団は午前中に議員総会を開催。翁長知事を支持してきた社民や共産などは、各会派で今後について話し合う予定にしている。