平成時代に生じた家族の変容。介護の担い手は、息子の配偶者(嫁)が減り、かわって男性介護、息子介護が増えた。最近、ある科学技術ジャーナリストが書いた介護体験記が話題となった。「母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記」だ。著者の松浦晋也さんに聞いた。
認知症になったら
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通帳の紛失。コンロの空だき。母(84)の様子がおかしいと気づいたのは4年前。父は亡くなり、長男の私と母は実家で2人暮らしでした。
認知症と診断された母を介護する苦しみの半分は、母の拒否と抵抗でした。食事の支度をすれば「まずーい」と大声で言う。以前の母なら考えられないことです。トイレで排泄(はいせつ)を失敗し、掃除しようとして紙を詰まらせ、水があふれる。「自分ではできないでしょうが」と怒っても、「ほっといて」「自分でやる」と認めない。自分へのいらだちを、家族の私にぶつける母。怒鳴りあいで互いに消耗しました。
「自分が母を支えるしかない」と思い込み、ストレスで体調を崩し、幻覚にも悩まされました。科学技術ジャーナリストとしての仕事ができず、預金が急減するのも恐怖でした。気づけば「死ねばいいのに」「お父さん、助けて」と独り言をつぶやくようになり、「殴れ」という想念にとりつかれました。ある日、食品を台所いっぱいに散らかして「おなかが減って」と訴える母に、手を上げてしまいました。直後は放心状態で、涙があふれました。
海外で暮らす妹に事情を話すと、すぐに母のケアマネジャーに連絡してくれました。妹は私を責めませんでした。責められていたら気が変になっていたでしょう。ケアマネは短期入所(ショートステイ)の空きを探してくれました。母は17年1月からグループホームに入居しました。
私の介護は「失敗」でした。介護を家族で抱え込むのは無理です。家族は近いが故に愛情もある半面、憎しみやあつれきも大きくなります。家族問題ではなく社会的事業と考えるべきだと思います。
家族が認知症かも、という日が来る前に、地域包括支援センターで情報を集めておくことは重要です。介護はきれいごとではすみませんが、つぶれないよう準備はできます。介護保険は使い倒す。自分が献身的になればいいと思ってはいけないし、周囲もそれを求めてはいけません。介護の矢面にたたない家族は、介護される人だけでなく、介護する人をケアする心配りがほしいと思います。(聞き手 編集委員・清川卓史)