「沖縄」の現状をどう表現すべきなのか――。「沖縄慰霊の日」の6月23日を前に、沖縄県与那原町出身で、俳人の安里琉太(あさと・りゅうた)さん(25)=東京都=が、「戦後の沖縄俳句の生き証人」ともいえる男性に会って考えた。
「安里さん、沖縄出身なのに詠む俳句は沖縄っぽくないですよね」と言われたことがある。
「沖縄」の俳句という時、本州とは異なる風土、あるいは基地などがイメージされるのだろう。地元紙の雑詠欄などを見ていても城址(グスク)や基地がよく題材になり、沖縄戦終結の日とされる6月23日が近づけば、「沖縄忌」や「慰霊の日」といった季語が盛んに詠まれる印象がある。ただ「沖縄」へフォーカスするあまり、「個」が見えてこないような詠みぶりには、個人的に違和感を覚える。
かく言う私も「沖縄忌」を詠んだことがある。
・轟音(ごうおん)の空に轍(わだち)や沖縄忌
軍用機の轟(とどろ)きが形のないはずの空に「轍」を思わせる。何が空に轍を残したのか具体的に書いていないが、その正体がただの飛行機であると鑑賞する読者は少ないと思う。「沖縄忌」という季語との取り合わせが、沖縄の現状を連想させ、軍用機であることを暗に示している。
当時まだ10代だった私は、地元の文学賞にこの句を含めた5句の連作を応募した。
・祈る手を蝶(ちょう)のかたちに解きをり
・石柱の龍の水吐く豊の秋
いま振り返れば、いずれも賞を狙って「沖縄」に寄せているような詠みぶりだ。結果は第一席である県知事賞。嬉(うれ)しい半面、自分の作品に詠まれた「沖縄」にある種の空虚さを感じてもいた。この「沖縄忌」は誰に向けての弔いなのだろう。「沖縄」にフォーカスするあまり、隠れてしまったものがある気がした。
選考委員の一人に、野ざらし延男さん(78)がいた。10代から俳句を始め、戦後の沖縄俳句の生き証人ともいえる野ざらしさんが評価してくれたのは、次のような句だった。
・寒卵(かんたまご)人体に丘い…