九州北部豪雨で被災した福岡県朝倉市の石詰集落で被災後初めて行われた「鬼火焚き」。集落の人たちが見守る中、無病息災を願う炎が空に向かって高々と上がった=2019年1月3日午前7時7分、福岡県朝倉市杷木松末、河合真人撮影
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九州北部豪雨で、大きな被害をうけた福岡県朝倉市出身の元教師が今年1月、89年の生涯を閉じた。誰よりも地元に強い愛着を持っていたが、被災後は避難を転々と強いられた末の最期だった。亡くなる少し前、教え子からの粋な「贈り物」に顔をほころばせていた。
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井手松雄さんは、同市杷木松末(はきますえ)の山あいにある石詰集落で生まれ育った。松末小学校の教壇にも立った。退職後、区長として蛍での集落振興を企画。集落で育て、観賞会を地元の風物詩にした。野球好きで、地元のソフトボールチームの指導も手がけた。
2017年7月5日。石詰は豪雨に襲われた。住民59人のうち5人が犠牲になり、濁流は近くの松末小にも流れ込んだ。井手さん宅は裏山が崩落。妻洋子さん(89)と二晩しのいだ後、ヘリで救出された。
井手松雄さん=2010年10月、妻の洋子さん提供
直後から同県福津市の次男宅、12月には神奈川県の長男宅に避難。昨年3月、自宅を修理していったん帰還できた。ところが5月、集落は河川の復旧が終わるまで住めない決まりになった。「もうどこにも行きたくない」と井手さんは残念がったが、同月に福岡県久留米市の借家に引っ越した。
避難を機に井手さんの体に異変が出始めた。5月には認知症と診断された。介護を受けながら仮住まいを続けたが、12月にはがんが全身に広がっていることがわかった。朝倉市の病院に入院したが、石詰からは16キロ離れた市中心部だった。
今年1月3日、石詰の自宅に久…